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2021年8月13日 (金)

まだ断片的ですが・・・

服部さんの「本薬師寺は九州王朝の寺」という資料を送っていただき,

私の拙いノーミソもようやく動き始めました。

まだ仮説とも言えない代物ですが,とりあえず書いてみます。

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(0)663年の白村江の戦いの時代まで ~ 九州王朝の本家が権力を持っていた(近畿王朝は不参加) → 短期間に滅亡

(1)680年代 ~ 飛鳥京・エビノコ郭(当時最大の建物。大極殿と考える)で九州王朝の天皇に「詔」を出させる段階(政治的利用)

(2)690年代後半 ~ 藤原京の中に「本薬師寺」を造ることぐらいは許す段階

(3)710年,平城京への遷都。すでに主権は移行(701年,「大宝」の建元)していたが,長屋王は厚遇(平城京の一等地) 

(4)720年,「日本書紀」完成(昔から近畿王朝が本家だった) ※九州王朝の「禁書」を入手した後

(5)729年,長屋王の変(抹殺) ← 藤原氏の陰謀?

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今川瀬さんと「日本書紀」の「詔」の調査をしていますが,

これらと関連するものも出て来るといいと思っています。

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 服部さんが、本薬師寺は九州王朝の寺 という発表をされたことは知っていました。

 でも私は
 本薬師寺どころか、藤原京自体が九州王朝の都城と考えています。

 近畿天皇家が天皇位を禅譲させることを目的に、大和に新たな九州王朝の都を作って遷都することとして、九州王朝天皇に御動座願った。この旅が、瀬戸内ー伊勢(ここまで海路)ー大和(陸路)です(歌麿が万葉集で歌った旅)。そして大和に九州王朝天皇を迎えて(この宮がエビノコ郭)新たな都づくりに入った。
 そして新たな都ができてすぐに禅譲させた。
 だから、藤原京は直ちに不要となった。

 そして大和の北部に新たな近畿王朝の都・平城京の建設に入った。
 このためできたばかりの藤原京の建物や多くの寺の建物が平城京に移転した。

 ※そもそも天智の近江京も藤原京と同じ性格の都城です。
 つまり九州王朝の都を近江に遷都して天皇に動座してもらい(日本書紀は近江遷都と明記)、そこでやがて天智が、もしくはその後継者が天皇位を禅譲してもらう。
 この目的で作った都で、これも九州王朝の都城。
 だが天智が早世し、近畿天皇家の大王位をめぐる内乱=壬申の乱が没発して、この企ては一時頓挫。
 近江京を制圧した天武は、九州王朝天皇を同行させて飛鳥に戻り、飛鳥京・後岡本宮のすぐそばに九州王朝天皇のための宮殿=エビノコ郭を作った。
 そして天武も九州王朝天皇のための新たな都城建設に踏み込んだ。
 これが前期難波宮だ。
 だから前期難波宮は九州王朝の都城。当然条坊を伴う都市として建設された。
 だがこれは天武の死と王位継承の争いで中止(上町台地は条坊都市を作るには狭いし)。
 だがここでも禅譲策は一時頓挫した。
 天武の跡継ぎの草壁が早世し、王位継承の争いが起こった。
 この隙に九州王朝天皇は九州に戻ってしまった。

 この争いを天武の妻である持統が大王になって治めることで、禅譲に向けての動きは再度スタート。
 あとは先に書いた通りです。

 こう考えます。

 長屋王が厚遇されるのは当たり前。
 彼は聖武と並ぶ、近畿王朝内の正当な天皇後継者です。
 父方で天武の血を引き、彼の妻は天皇の娘なので、彼の三人の男子は正統な王位継承者。
 天皇の娘を妻にもできず、藤原氏の娘を妻として生まれたたった一人の男子すら夭折し、もう一人の身分の低い妻にできた男子も若くして死亡。
 正当な男子の継承者のいない聖武よりも、長屋王(木簡で確認されている。正しくは長屋親王。長屋王という呼称は「続日本紀」の嘘)の方が天皇に相応しい。

 長屋王の謀反は、聖武一族が仕組んだもの。藤原氏はその手下で、聖武の命を受けた実行犯にすぎない。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

ずいぶん失敗や頓挫を繰り返してきたのですね。

〉 この隙に九州王朝天皇は九州に戻ってしまった。

これはいつの時期ですか?

>〉 この隙に九州王朝天皇は九州に戻ってしまった。

これはいつの時期ですか?

> 天武の跡継ぎの草壁が早世し、王位継承の争いが起こった。 この時です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

> 天武の跡継ぎの草壁が早世し、王位継承の争いが起こった。 この時です。

九州のどこへ帰ってしまったのでしょう。
太宰府でしょうか?それとも別の場所でしょうか?

肥沼さんへ
>九州のどこへ帰ってしまったのでしょう。
太宰府でしょうか?それとも別の場所でしょうか?

 この話題はこの辺で辞めておきましょう。
 想像で物を言っても意味がありません。書紀の天武紀・持統紀の精査が必要です。

 

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この話題はこの辺で辞めておきましょう。
 想像で物を言っても意味がありません。書紀の天武紀・持統紀の精査が必要です。

わかりました。
書紀の天武紀・持統紀を楽しみにしています。

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