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2021年7月14日 (水)

神武紀の最初の「詔」は,九州王朝系史料からの盗用(川瀬さん)

神武記の記述は、冒頭から
 神武を神倭伊波禮毘古命
 としている。
  これは大和を制圧して即位してからの名前だ。
  つまり古事記は最初から彼は即位した存在として記述している。
  これが証拠に、冒頭に日向から筑紫に向かう際に、「卽自日向發、幸行筑紫。」と記述し、「幸」=行幸として彼をすでに即位した存在として記述している。
 だから以後彼の命令はみな、詔として記述されたのだと思う。

 これに対して神武紀は
 天皇との形で記述しているが、あくまで実態は彥火火出見としての動き。
 だからその命令を詔として記述することはなく
 辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。(大和の大王に即位したということ)
 の以後になって初めて詔を使うこととなったわけだ。

 詔という言葉の使い方で見ると
 書紀の方が古事記よりも状況を正しく記述していることがわかる。

  ・・・

神武紀の詔の訳について。
次のように訳すべきです。

「わが皇祖の霊が,天から降り眺められて,我が身を助けて下さった。今多くの敵はすべて平らげて天下には何事もない。そこで天神を祀って大孝を申し上げたい」と詔す。すなわち神々の祀りの場を,鳥見山の中に設けて,そこを上小野の榛原・下小野の榛原という。そして高皇産霊尊を祀った。

書紀の体裁もまた天下を治める天皇の宣言という形です。
ここでもまた現代人はこの時の神武は天下を統治していないから、「詔す」とかかれているのを無視する。

付け加えればこの詔の主体は省略されているから、本来は九州王朝の天皇が出したものを盗用して、鳥見山山中に祭壇を設けた記事にくっつけたのです。

(「神武天皇の「詔」~記から紀へ」への川瀬さんのコメント)

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