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2021年7月 4日 (日)

主語があるかないか(2)

昨日は「主語無し」が続きました。

ずっとその傾向で行くのでしょうか?それとも・・・。

今日も上記の内容を進めていきたいと思います。

どんな「詔」が出て来るでしょう?

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【垂仁14】

活目入彥五十狹茅天皇、御間城入彥五十瓊殖天皇第三子也。母皇后曰御間城姬、大彥命之女也。天皇、以御間城天皇廿九年歲次壬子春正月己亥朔生於瑞籬宮、生而有岐㠜之姿、及壯倜儻大度、率性任眞、無所矯飾。天皇愛之、引置左右。廿四歲、因夢祥、以立爲皇太子。六十八年冬十二月、御間城入彥五十瓊殖天皇崩。

元年春正月丁丑朔戊寅、皇太子卽天皇位。冬十月癸卯朔癸丑、葬御間城天皇於山邊道上陵。十一月壬申朔癸酉、尊皇后曰皇太后。是年也、太歲壬辰。

二年春二月辛未朔己卯、立狹穗姬爲皇后。后生譽津別命、生而天皇愛之、常在左右、及壯而不言。冬十月、更都於纏向、是謂珠城宮也。是歲、任那人蘇那曷叱智請之、欲歸于國。蓋先皇之世來朝未還歟。故敦賞蘇那曷叱智、仍齎赤絹一百匹、賜任那王。然、新羅人遮之於道而奪焉。其二國之怨、始起於是時也。

一云、御間城天皇之世、額有角人、乘一船、泊于越國笥飯浦、故號其處曰角鹿也。問之曰「何國人也。」對曰「意富加羅國王之子、名都怒我阿羅斯等、亦名曰于斯岐阿利叱智于岐。傳聞日本國有聖皇、以歸化之。到于穴門時、其國有人、名伊都々比古、謂臣曰『吾則是國王也、除吾復無二王、故勿往他處。』然、臣究見其爲人、必知非王也、卽更還之。不知道路、留連嶋浦、自北海𢌞之、經出雲國至於此間也。」是時、遇天皇崩、便留之、仕活目天皇逮于三年。天皇、問都怒我阿羅斯等曰「欲歸汝國耶。」對諮「甚望也。」天皇詔【?】阿羅斯等曰「汝不迷道必速詣之、遇先皇而仕歟。是以、改汝本國名、追負御間城天皇御名、便爲汝國名。」仍以赤織絹給阿羅斯等、返于本土。故、號其國謂彌摩那國、其是之緣也。於是、阿羅斯等以所給赤絹、藏于己國郡府。新羅人聞之、起兵至之、皆奪其赤絹。是二國相怨之始也。

一云、初都怒我阿羅斯等、有國之時、黃牛負田器、將往田舍。黃牛忽失、則尋迹覓之、跡留一郡家中、時有一老夫曰「汝所求牛者、於此郡家中。然郡公等曰『由牛所負物而推之、必設殺食。若其主覓至、則以物償耳』卽殺食也。若問牛直欲得何物、莫望財物。便欲得郡內祭神云爾。」俄而郡公等到之曰「牛直欲得何物。」對如老父之教。其所祭神、是白石也、乃以白石授牛直。因以將來置于寢中、其神石化美麗童女。於是、阿羅斯等大歡之欲合、然阿羅斯等去他處之間、童女忽失也。阿羅斯等大驚之、問己婦曰「童女何處去矣。」對曰「向東方。」則尋追求、遂遠浮海以入日本國。所求童女者、詣于難波、爲比賣語曾社神、且至豐國々前郡、復爲比賣語曾社神。並二處見祭焉。

三年春三月、新羅王子、天日槍來歸焉、將來物、羽太玉一箇・足高玉一箇・鵜鹿々赤石玉一箇・出石小刀一口・出石桙一枝・日鏡一面・熊神籬一具、幷七物、則藏于但馬國、常爲神物也。一云、初天日槍、乘艇、泊于播磨國、在於宍粟邑。時天皇、遣三輪君祖大友主與倭直祖長尾市於播磨而問天日槍曰「汝也誰人、且何國人也。」天日槍對曰「僕、新羅國主之子也。然、聞日本國有聖皇、則以己國授弟知古而化歸之。」仍貢獻物、葉細珠・足高珠・鵜鹿々赤石珠・出石刀子・出石槍・日鏡・熊神籬・膽狹淺大刀、幷八物。仍詔【?】天日槍曰「播磨國宍粟邑、淡路島出淺邑、是二邑、汝任意居之。」時、天日槍啓之曰「臣將住處、若垂天恩聽臣情、願地者、臣親歷視諸國則合于臣心欲被給。」乃聽之。於是、天日槍、自菟道河泝之、北入近江國吾名邑而暫住。復更、自近江經若狹國、西到但馬國則定住處也。是以、近江國鏡村谷陶人、則天日槍之從人也。故天日槍、娶但馬國出嶋人太耳女麻多烏、生但馬諸助也。諸助、生但馬日楢杵。日楢杵、生淸彥。淸彥、生田道間守也。

四年秋九月丙戌朔戊申、皇后母兄狹穗彥王、謀反、欲危社稷、因伺皇后之燕居而語之曰「汝孰愛兄與夫焉。」於是、皇后不知所問之意趣、輙對曰「愛兄也。」則誂皇后曰「夫、以色事人、色衰寵緩。今天下多佳人、各遞進求寵、豈永得恃色乎。是以冀、吾登鴻祚、必與汝照臨天下、則高枕而永終百年、亦不快乎。願爲我弑天皇。」仍取匕首、授皇后曰「是匕首佩于裀中、當天皇之寢、廼刺頸而弑焉。」皇后於是、心裏兢戰、不知所如、然視兄王之志、便不可得諫。故受其匕首、獨無所藏、以著衣中。遂有諫兄之情歟。

五年冬十月己卯朔、天皇、幸來目居於高宮、時天皇枕皇后膝而晝寢。於是、皇后、既无成事而空思之「兄王所謀、適是時也。」卽眼淚流之落帝面、天皇則寤之、語皇后曰「朕今日夢矣、錦色小蛇、繞于朕頸、復大雨從狹穗發而來之濡面。是何祥也。」皇后、則知不得匿謀而悚恐伏地、曲上兄王之反狀、因以奏曰「妾、不能違兄王之志、亦不得背天皇之恩。告言則亡兄王、不言則傾社稷。是以、一則以懼、一則以悲、俯仰喉咽、進退而血泣、日夜懷悒、無所訴言。唯今日也、天皇枕妾膝而寢之、於是、妾一思矣、若有狂婦、成兄志者、適遇是時、不勞以成功乎。茲意未竟、眼涕自流、則舉袖拭涕、從袖溢之沾帝面。故今日夢也、必是事應焉、錦色小蛇則授妾匕首也、大雨忽發則妾眼淚也。」

天皇謂皇后曰「是非汝罪也。」卽發近縣卒、命上毛野君遠祖八綱田、令擊狹穗彥。時狹穗彥、興師距之、忽積稻作城、其堅不可破、此謂稻城也、踰月不降。於是、皇后悲之曰「吾雖皇后、既亡兄王、何以面目、莅天下耶」則抱王子譽津別命、而入之於兄王稻城。天皇更益軍衆、悉圍其城、卽勅城中曰「急出皇后與皇子。」然不出矣。則將軍八綱田、放火焚其城、於焉、皇后令懷抱皇子、踰城上而出之。因以奏請曰「妾始所以逃入兄城、若有因妾子免兄罪乎。今不得免、乃知、妾有罪。何得面縛、自經而死耳。唯妾雖死之、敢勿忘天皇之恩。願妾所掌后宮之事、宜授好仇。其丹波國有五婦人、志並貞潔、是丹波道主王之女也。道主王者、稚日本根子太日々天皇之孫、彥坐王子也。一云、彥湯産隅王之子也。當納掖庭、以盈后宮之數。」天皇聽矣。時火興城崩、軍衆悉走、狹穗彥與妹共死于城中。天皇、於是、美將軍八綱田之功、號其名謂倭日向武日向彥八綱田也。

七年秋七月己巳朔乙亥、左右奏言「當麻邑、有勇悍士、曰當摩蹶速。其爲人也、强力以能毀角申鉤、恆語衆中曰『於四方求之、豈有比我力者乎。何遇强力者而不期死生、頓得爭力焉。』」天皇聞之、詔【?】群卿曰「朕聞、當摩蹶速者天下之力士也。若有比此人耶。」一臣進言「臣聞、出雲國有勇士、曰野見宿禰。試召是人、欲當于蹶速。」卽日、遣倭直祖長尾市、喚野見宿禰。於是、野見宿禰、自出雲至。則當摩蹶速與野見宿禰令捔力。二人相對立、各舉足相蹶、則蹶折當摩蹶速之脇骨、亦蹈折其腰而殺之。故、奪當摩蹶速之地、悉賜野見宿禰。是以、其邑有腰折田之緣也。野見宿禰乃留仕焉。

十五年春二月乙卯朔甲子、喚丹波五女、納於掖庭。第一曰日葉酢媛、第二曰渟葉田瓊入媛、第三曰眞砥野媛、第四曰薊瓊入媛、第五曰竹野媛。秋八月壬午朔、立日葉酢媛命爲皇后、以皇后弟之三女爲妃。唯竹野媛者、因形姿醜、返於本土。則羞其見返葛野自墮輿而死之、故號其地謂墮國、今謂弟國訛也。皇后日葉酢媛命、生三男二女、第一曰五十瓊敷入彥命、第二曰大足彥尊、第三曰大中姬命、第四曰倭姬命、第五曰稚城瓊入彥命。妃渟葉田瓊入媛、生鐸石別命與膽香足姬命。次妃薊瓊入媛、生池速別命・稚淺津姬命。

廿三年秋九月丙寅朔丁卯、詔【なし】群卿曰「譽津別王、是生年既卅、髯鬚八掬、猶泣如兒、常不言、何由矣。」因有司而議之。冬十月乙丑朔壬申、天皇立於大殿前、譽津別皇子侍之。時有鳴鵠、度大虛、皇子仰觀鵠曰「是何物耶。」天皇則知皇子見鵠得言而喜之、詔【?】左右曰「誰能捕是鳥獻之。」於是、鳥取造祖天湯河板舉奏言「臣必捕而獻。」卽天皇勅湯河板舉板舉、此云拕儺曰「汝獻是鳥、必敦賞矣。」時湯河板舉、遠望鵠飛之方、追尋詣出雲而捕獲。或曰、得于但馬國。

十一月甲午朔乙未、湯河板舉、獻鵠也。譽津別命、弄是鵠、遂得言語。由是、以敦賞湯河板舉、則賜姓而曰鳥取造、因亦定鳥取部・鳥養部・譽津部。

廿五年春二月丁巳朔甲子、詔【なし】阿倍臣遠祖武渟川別・和珥臣遠祖彥國葺・中臣連遠祖大鹿嶋・物部連遠祖十千根・大伴連遠祖武日、五大夫曰「我先皇御間城入彥五十瓊殖天皇、惟叡作聖、欽明聰達、深執謙損、志懷沖退、綢繆機衡、禮祭神祇、剋己勤躬、日愼一日。是以、人民富足、天下太平也。今當朕世、祭祀神祇、豈得有怠乎。」

三月丁亥朔丙申、離天照大神於豐耜入姬命、託于倭姬命。爰倭姬命、求鎭坐大神之處而詣菟田筱幡筱、此云佐佐、更還之入近江國、東廻美濃、到伊勢國。時、天照大神誨倭姬命曰「是神風伊勢國、則常世之浪重浪歸國也、傍國可怜國也。欲居是國。」故、隨大神教、其祠立於伊勢國。因興齋宮于五十鈴川上、是謂磯宮、則天照大神始自天降之處也。

一云、天皇、以倭姬命爲御杖、貢奉於天照大神。是以、倭姬命、以天照大神鎭坐於磯城嚴橿之本而祠之。然後、隨神誨、取丁巳年冬十月甲子、遷于伊勢國渡遇宮。是時倭大神、著穗積臣遠祖大水口宿禰而誨之曰「太初之時期曰『天照大神、悉治天原。皇御孫尊、專治葦原中國之八十魂神。我、親治大地官者。』言已訖焉。然先皇御間城天皇、雖祭祀神祇、微細未探其源根、以粗留於枝葉。故其天皇短命也。是以、今汝御孫尊、悔先皇之不及而愼祭、則汝尊壽命延長、復天下太平矣。」時天皇、聞是言、則仰中臣連祖探湯主而卜之、誰人以令祭大倭大神。卽渟名城稚姬命、食卜焉。因以、命渟名城稚姬命、定神地於穴磯邑、祠於大市長岡岬。然、是渟名城稚姬命、既身體悉痩弱、以不能祭。是以、命大倭直祖長尾市宿禰、令祭矣。

廿六年秋八月戊寅朔庚辰、天皇勅物部十千根大連曰「屢遣使者於出雲國、雖檢校其國之神寶、無分明申言者。汝親行于出雲、宜檢校定。」則十千根大連、校定神寶而分明奏言之。仍令掌神寶也。

廿七年秋八月癸酉朔己卯、令祠官卜兵器爲神幣、吉之。故、弓矢及横刀納諸神之社。仍更定神地・神戸、以時祠之。蓋兵器祭神祇、始興於是時也。是歲、興屯倉于來目邑。屯倉、此云彌夜氣。

廿八年冬十月丙寅朔庚午、天皇母弟倭彥命薨。十一月丙申朔丁酉、葬倭彥命于身狹桃花鳥坂。於是、集近習者、悉生而埋立於陵域、數日不死、晝夜泣吟、遂死而爛臰之、犬烏聚噉焉。天皇聞此泣吟之聲、心有悲傷、詔【?】群卿曰「夫以生所愛令殉亡者、是甚傷矣。其雖古風之、非良何從。自今以後、議之止殉。」

卅年春正月己未朔甲子、天皇詔【?】五十瓊敷命・大足彥尊曰「汝等、各言情願之物也。」兄王諮「欲得弓矢。」弟王諮「欲得皇位。」於是、天皇詔【?】之曰「各宜隨情。」則弓矢賜五十瓊敷命、仍詔【?】大足彥尊曰「汝必繼朕位。」

卅二年秋七月甲戌朔己卯、皇后日葉酢媛命一云、日葉酢根命也薨。臨葬有日焉、天皇詔【?】群卿曰「從死之道、前知不可。今此行之葬、奈之爲何。」於是、野見宿禰進曰「夫君王陵墓、埋立生人、是不良也、豈得傳後葉乎。願今將議便事而奏之。」則遣使者、喚上出雲國之土部壹佰人、自領土部等、取埴以造作人・馬及種種物形、獻于天皇曰「自今以後、以是土物更易生人樹於陵墓、爲後葉之法則。」天皇、於是大喜之、詔【?】野見宿禰曰「汝之便議、寔洽朕心。」則其土物、始立于日葉酢媛命之墓。仍號是土物謂埴輪、亦名立物也。仍下令曰「自今以後、陵墓必樹是土物、無傷人焉。」天皇、厚賞野見宿禰之功、亦賜鍛地、卽任土部職、因改本姓謂土部臣。是土部連等、主天皇喪葬之緣也、所謂野見宿禰、是土部連等之始祖也。

卅四年春三月乙丑朔丙寅、天皇幸山背。時左右奏言之、此國有佳人曰綺戸邊、姿形美麗、山背大國不遲之女也。天皇、於茲、執矛祈之曰「必遇其佳人、道路見瑞。」比至于行宮、大龜出河中、天皇舉矛剌龜、忽化爲白石。謂左右曰「因此物而推之、必有驗乎。」仍喚綺戸邊納于後宮、生磐衝別命、是三尾君之始祖也。先是、娶山背苅幡戸邊、生三男、第一曰祖別命、第二曰五十日足彥命、第三曰膽武別命。五十日足彥命、是子石田君之始祖也。

卅五年秋九月、遣五十瓊敷命于河內國、作高石池・茅渟池。冬十月、作倭狹城池及迹見池。是歲、令諸國多開池溝、數八百之、以農爲事、因是、百姓富寛天下大平也。

卅七年春正月戊寅朔、立大足彥尊、爲皇太子。

卅九年冬十月、五十瓊敷命、居於茅渟菟砥川上宮、作劒一千口。因名其劒、謂川上部、亦名曰裸伴裸伴、此云阿箇播娜我等母、藏于石上神宮也。是後、命五十瓊敷命、俾主石上神宮之神寶。一云、五十瓊敷皇子、居于茅渟菟砥河上、而喚鍛名河上、作大刀一千口。是時、楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部・神刑部・日置部・大刀佩部、幷十箇品部、賜五十瓊敷皇子。其一千口大刀者、藏于忍坂邑。然後、從忍坂移之、藏于石上神宮。是時、神乞之言「春日臣族名市河、令治。」因以命市河令治、是今物部首之始祖也。

八十七年春二月丁亥朔辛卯、五十瓊敷命、謂妹大中姬曰「我老也、不能掌神寶。自今以後、必汝主焉。」大中姬命辭曰「吾手弱女人也、何能登天神庫耶。」神庫、此云保玖羅。五十瓊敷命曰「神庫雖高、我能爲神庫造梯。豈煩登庫乎。」故、諺曰、天之神庫隨樹梯之、此其緣也。然遂大中姬命、授物部十千根大連而令治。故、物部連等、至于今治石上神寶、是其緣也。昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有八尺瓊勾玉。因以獻之。是玉今有石上神宮也。

八十八年秋七月己酉朔戊午、詔【なし】群卿曰「朕聞、新羅王子天日槍、初來之時、將來寶物、今有但馬。元爲國人見貴、則爲神寶也。朕欲見其寶物。」卽日、遣使者、詔【なし】天日槍之曾孫淸彥而令獻。於是、淸彥被勅、乃自捧神寶而獻之、羽太玉一箇・足高玉一箇・鵜鹿鹿赤石玉一箇・日鏡一面・熊神籬一具。唯有小刀一、名曰出石、則淸彥忽以爲非獻刀子、仍匿袍中而自佩之。天皇、未知匿小刀之情、欲寵淸彥而召之賜酒於御所。時、刀子從袍中出而顯之、天皇見之、親問淸彥曰「爾袍中刀子者、何刀子也。」爰淸彥、知不得匿刀子而呈言「所獻神寶之類也。」則天皇謂淸彥曰「其神寶之、豈得離類乎。」乃出而獻焉。皆藏於神府。

然後、開寶府而視之、小刀自失。則使問淸彥曰「爾所獻刀子忽失矣。若至汝所乎。」淸彥答曰「昨夕、刀子自然至於臣家。乃明旦失焉。」天皇則惶之、且更勿覓。是後、出石刀子、自然至于淡路嶋。其嶋人、謂神而爲刀子立祠、是於今所祠也。昔有一人乘艇而泊于但馬國、因問曰「汝何國人也。」對曰「新羅王子、名曰天日槍。」則留于但馬、娶其國前津耳一云前津見、一云太耳女、麻拕能烏、生但馬諸助。是淸彥之祖父也。

九十年春二月庚子朔、天皇命田道間守、遣常世國、令求非時香菓。香菓、此云箇倶能未。今謂橘是也。

九十九年秋七月戊午朔、天皇崩於纏向宮、時年百卌歲。冬十二月癸卯朔壬子、葬於菅原伏見陵。

明年春三月辛未朔壬午、田道間守至自常世國、則齎物也、非時香菓八竿八縵焉。田道間守、於是、泣悲歎之曰「受命天朝、遠往絶域、萬里蹈浪、遙度弱水。是常世國、則神仙祕區、俗非所臻。是以、往來之間、自經十年、豈期、獨凌峻瀾、更向本土乎。然、頼聖帝之神靈、僅得還來。今天皇既崩、不得復命、臣雖生之、亦何益矣。」乃向天皇之陵、叫哭而自死之、群臣聞皆流淚也。田道間守、是三宅連之始祖也。

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昨日は「なし」ばかりでしたが,今日は「天皇・・・詔」が半分以上入ってきました。

これらの「取り捨て」はどうするのか迷っています。

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コメント

肥沼さんへ

 単純に漢文の字面だけみているからわからなくなる。
  ・詔曰「・・・・・」=九州王朝のもの
  ・天皇詔曰「・・・・・」=近畿天皇家の者
 との読みわけは「原則」ですが、
  主語明記=近畿天皇家の記事
  主語省略=九州王朝の記事
 との単純な表記では、簡単に書紀の秘密がばれてしまうので、選者は偽装工作をしています。

 一つ一つの詔の内容を把握し、
 この詔に続く記事が内容から見て、近畿天皇家の記事か、九州王朝の記事か
を判断して初めて、
 一つ一つの詔が九州王朝の盗用か否かが判断できるのです。
 字面だけで判断できるような簡単なものと思い込んでいませんか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 単純に漢文の字面だけみているからわからなくなる。
  ・詔曰「・・・・・」=九州王朝のもの
  ・天皇詔曰「・・・・・」=近畿天皇家の者
 との読みわけは「原則」ですが、
  主語明記=近畿天皇家の記事
  主語省略=九州王朝の記事
 との単純な表記では、簡単に書紀の秘密がばれてしまうので、選者は偽装工作をしています。

 一つ一つの詔の内容を把握し、
 この詔に続く記事が内容から見て、近畿天皇家の記事か、九州王朝の記事か
を判断して初めて、
 一つ一つの詔が九州王朝の盗用か否かが判断できるのです。
 字面だけで判断できるような簡単なものと思い込んでいませんか?

「ある」「ない」をしてみただけですので,
そうはおもっていません。

肥沼さんへ

 一見して「詔」の主体がないように見えて、前後の文脈から明確に「天皇」だとわかることがある。
 こういう詔は明らかに近畿天皇家のもの。

 また詔の主体が省略されているが、詔を出した相手が近畿天皇家内部の人だとわかるばあいにも、この詔の主体が「天皇=近畿天皇家の大王」だとわかることもある。

したがって近畿天皇家の大王の詔は
1:「天皇」と主語が明記してある詔
2:詔を出した相手が近畿天皇家の者である詔
3:詔の前後の文脈から、詔を出した主体が近畿天皇家の大王だとわかる詔
の三種類があることがわかります。

 だから詔の内容や前後の文を読まないと判断できない。
 漢文の字面で
   詔の主体が省略されているもの=九州王朝の事績
   詔の主体が天皇と明記されているもの=近畿天皇家の事績
 ではない。

 ※ここに注意してください。
 

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 一見して「詔」の主体がないように見えて、前後の文脈から明確に「天皇」だとわかることがある。
 こういう詔は明らかに近畿天皇家のもの。

そうなんですね。

〉  だから詔の内容や前後の文を読まないと判断できない。
 漢文の字面で
   詔の主体が省略されているもの=九州王朝の事績
   詔の主体が天皇と明記されているもの=近畿天皇家の事績
 ではない。

 ※ここに注意してください。

それでは,とても私の手に負える仕事ではないということですね。

肥沼さんへ

>それでは,とても私の手に負える仕事ではないということですね。

 とすぐに諦めるところが肥沼さんらしいですね。
 どうして簡単に諦められるかな?

 垂仁紀の詔はほとんどが主体は近畿天皇家の天皇と読めるものばかりです。
 冒頭の2年の詔。
1:天皇詔阿羅斯等曰 敦賀にやってきた阿羅斯等に出した詔。明確に垂仁の詔。
2:詔天日槍曰 但馬にやってきた新羅王子天日槍に対する詔。文脈から出したのは垂仁。

 7年秋の詔
3:天皇聞之、詔群卿曰 詔の主体は省略されていますが、前の文を受けてのことですから主体は天皇、すなわち垂仁。
 廿三年秋九月の詔
4:詔群卿曰「譽津別王、是生年既卅、髯鬚八掬、猶泣如兒、常不言、何由矣。」
 詔の主体は省略されているが、ここで語られた譽津別王は、垂仁の先の妃との間の息子。岩波文庫本の注を読めばわかる。だから主体は垂仁。

 という具合に、岩波文庫本の読み下し文と注を参考にすれば解読できます。

 こうした解読作業をしないで
   主語を省略したもの=九州王朝
   主語を明記したもの=近畿天皇家
 と理解するのが「主語有無の論証」と理解してしまうから誤解するのです。

  書紀編者はこの原則で起草したが、このままだと書紀記述の仕方の秘密(明確に近畿天皇家の事績と九州王朝の事績を区別して記述している)がバレルと大変なので、偽装しています。
 すなわち
 1:主語を省略した文から始まる記事でも、途中で主語を明記してぼかす。
 2:主語を明記した文から始まる記事でも、途中で主語を省略してぼかす。
 
 この結果、一文一文を点検しないと読み解けないのです。

 これを上城さんのように「論者によって理解が異なる」から「主語有無の論証」などというものはない
 と断定してしまえば、永遠に書紀を読み解くことは不可能になるでしょう。

 とりあえず上の私の提起を信じて、ご自身で書紀を一文一文丁寧に分析してみれば良いのです。
 頭から「主語有無の論証」を否定する論者も
 「主語有無の論証」と名付けた肥沼さんもまた、これを誤解していますし、
 自分の力で読み解く努力を最初から放棄しています。

 これじゃ古代史解読は永遠に無理だね。
 
4:

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 この結果、一文一文を点検しないと読み解けないのです。

それは私もわかります。
ただ,「詔」をやりだすと,今やっている多元的「国分寺」研究(国分寺の精査)が
後回しにならないかと危惧します。
そちらが終わった後でしたら,私も頑張ってみたいと思います。

肥沼さんへ
>ただ,「詔」をやりだすと,今やっている多元的「国分寺」研究(国分寺の精査)が
後回しにならないかと危惧します。
そちらが終わった後でしたら,私も頑張ってみたいと思います。

 大丈夫。後回しになどならない。
 この間も肥沼さんの詔の読みにコメントしながら、肥後国分寺の再検討1を書き終えた。
 
 書紀を全文「主語有無の論証」で読み解く作業はいずれ全部やらなければいけない。その概観をみるためにも詔だけ全部読み解くのは、予行演習になります。
 また国分寺精査から離れた肥沼さんには、古代史研究の新たな課題への挑戦となりますよ。

 同時並行で進めましょう。
 どちらもかなり長い時間がかかります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

同時並行でやらせていただければと思います。
ただ,私は「主語有無」について慣れていませんし,誤解している部分もあると思います。
(もちろん「ある」「なし」だけですべてわかるとは思っていませんでしたが)
また,いろいろな場合があるようですので,すぐ私は「日本書紀」の偽装にだまされると思います。
そんな時も「また同じ失敗をして繰り返しているとか」「そんな人には歴史研究はできない」などと
書かれるのもご遠慮願います。(私はご存じの通り,あきらめが早いことに関しては定評があります)
何しろ今回の相手は,1300年間一元史観を支え続けてきた「日本書紀」ですから,騙されて当然ともいえると思うのです。偽書中の偽書=偽書の横綱!
それを川瀬さんは「主語有無」という方法で読み解こうとしておられる。それに賭けたいと思います。
今回の試みが成功しなければ,また1300年くらいすぐに経ってしまうと思います。
あと,1つずつが原則ですが,数行にわたって明らかに同じ内容と思われるところはまとめてやって良いですよね。
以上,乱筆乱文失礼します。

肥沼さんへ

>同時並行でやらせていただければと思います。
>あと,1つずつが原則ですが,数行にわたって明らかに同じ内容と思われるところはまとめてやって良いですよね。

 以上了解です。
 頑張ってください。

>ただ,私は「主語有無」について慣れていませんし,誤解している部分もあると思います。
(もちろん「ある」「なし」だけですべてわかるとは思っていませんでしたが)
また,いろいろな場合があるようですので,すぐ私は「日本書紀」の偽装にだまされると思います。

 はい。通常が騙されます。これが普通ですので安心してください。
 私はすでに「主語有無の論証」を使って「斉明紀」を全部読み解き、さらに「天智紀」と「神武紀」もほとんど読み解いています。
 さらに宮行幸関係だけは「孝徳紀」「天武紀」「持統紀」も読み解いていますので、みなさんよりずっと読み解くのに慣れています。
 一つ一つご教示します。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 はい。通常が騙されます。これが普通ですので安心してください。

〉 一つ一つご教示します。 


よろしくお願いいたします。

サイトのことですが,「肥さんの夢ブログ」から「継承・気がつ記」サイトへ移動しようと思っています。
ご意見をお聞かせ下さい。

「日本書紀」の中の「詔」の探求~「主語有無」の論証
という題名についても。

肥沼さんへ
>サイトのことですが,「肥さんの夢ブログ」から「継承・気がつ記」サイトへ移動しようと思っています。
ご意見をお聞かせ下さい。

 その方が良いと思います。かなり長くなりますから。

>「日本書紀」の中の「詔」の探求~「主語有無」の論証
という題名についても。

 これは 「日本書紀」の中の「詔」の探求~「主語有無」の論証による

とすると良いと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 >サイトのことですが,「肥さんの夢ブログ」から「継承・気がつ記」サイトへ移動しようと思っています。
ご意見をお聞かせ下さい。

 その方が良いと思います。かなり長くなりますから。

>「日本書紀」の中の「詔」の探求~「主語有無」の論証
という題名についても。

 これは 「日本書紀」の中の「詔」の探求~「主語有無」の論証による

とすると良いと思います。

ありがとうございます。
そのようにさせていただきます。

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