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2021年7月22日 (木)

武庫川は「すぐ向こう側」だった?

近畿王朝が今の奈良県と大阪府にあたる地域の王朝だとすると,

武庫川(日本書紀に「武庫に500艘が集められた」とある)は

兵庫県のどのあたりにあたるのか?それを地図で調べてみた。

すると尼崎(大阪駅までJRで5分,運賃180円)と甲子園の間に武庫川はあった。

武庫の港もこのあたりにあったのだろう。

(神戸港どころではなく「大阪港」といってもいいかも。西淀川と大阪湾でぶつかる)

Img_1062

(クリックすると拡大します)

さて,最初に書いた通り,近畿王朝があるとすると,

こんな近くに九州王朝の港があることは脅威である。

摂津という国名も九州王朝の命名であろうから,

ある意味「関所」のような存在だったのかもしれない。

まあそれはこれからの問題であるが,

あまりにも近いのを意識していなかったので,

それを報告しようと思った次第である。

九州年号「明要」でおなじみの明要寺もこのあたりなのかな?

兵庫県は近畿王朝の版図ということは,そういうことですよね。

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コメント

肥沼さんへ

 武庫水門は武庫川河口。
 そしてここは摂津国の一番西側の郡。
 近畿天皇家の畿内の地域。

 そして武庫水門は神功紀にも「務古水門」と記され、滋賀の都に侵攻する拠点として描かれている。

 こう考えると応神紀の「伊豆製の枯野を解体した薪で塩を焼き諸国に配り、500艘の船を作らせて武庫水門にあつめた」という話は、近畿天皇家の話である可能性が高いです。

 明要寺があるのは神戸市北区。ここは播磨の一番東側で、当時の地名は山田郷。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B1%B1

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。


(九州王朝)播磨国まで・・・・・・【境目】・・・・・・摂津国まで(近畿王朝)

明要寺・九州年号「明要」            武庫の港に500艘の船


~ということでよろしいですね。

>(九州王朝)播磨国まで・・・・・・【境目】・・・・・・摂津国まで(近畿王朝)

明要寺・九州年号「明要」            武庫の港に500艘の船


~ということでよろしいですね。

はい。その通りです。


境目のサイトがありました。
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web4/hase.html

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 境目のサイトがありました。

これって,九州王朝と近畿王朝の「国境」ではないですかね。
百人一首にも「須磨の関守」が出てきますし…。
他の国と国の間にも「関守」がいたのでしょうか?

肥沼さんへ

>これって,九州王朝と近畿王朝の「国境」ではないですかね。
百人一首にも「須磨の関守」が出てきますし…。
他の国と国の間にも「関守」がいたのでしょうか?

 須磨の西にある境川が播磨と摂津の国境。
 播磨が九州王朝の版図であり摂津が近畿天皇家の版図ならば、須磨こそ国境の関があった場所であることは確実ですね。
 ただし国境は移動するから、後の時代にはもっと西に動いたでしょうね。
 たとえば伊予と豊後の境のように。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  須磨の西にある境川が播磨と摂津の国境。
 播磨が九州王朝の版図であり摂津が近畿天皇家の版図ならば、須磨こそ国境の関があった場所であることは確実ですね。

境川とは,これ以上ない名前ですね。

〉 ただし国境は移動するから、後の時代にはもっと西に動いたでしょうね。
 たとえば伊予と豊後の境のように。

私も豊予海峡のことを思い浮かべました。
後の時代には「国境は移動する」ということでいいのですね。

ドーデの「最後の授業」で,国境が変わり,
「明日からはフランス語の授業がなくなる」というのもありましたが,
『ことばと国家』が出ると教科書からは跡かたなく消えました。

境川や関守稲荷神社は,しっかり歴史を伝えてくれる「生き証人」です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 須磨の西にある境川が播磨と摂津の国境。
 播磨が九州王朝の版図であり摂津が近畿天皇家の版図ならば、
 須磨こそ国境の関があった場所であることは確実ですね。

武庫の港の話から,2つの王朝の国境の関の話まで進みましたね。

〉 ただし国境は移動するから、後の時代にはもっと西に動いたでしょうね。
 たとえば伊予と豊後の境のように。

私も豊予海峡との整合性が気になりました。
後の時代には「国境は移動する」ということですね。
そういえば,ドーデの「最後の授業」も国境が移動するという話でした。
「最後の授業」は『ことばと国家』で教科書から消えましたが,
境川や関守稲荷神社は,「歴史の生き証人」」として今も地名・神社名として存在していますね。

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