授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」30周年記念
1992年,今から30年前に上記の授業プランを作った。
10年ほど学んだ仮説実験授業とその頃学び始めた古田史学(考古学)を形にしたのだった。
銅鏡の出土の中心,銅器の出土の中心,鉄器の出土の中心,絹の出土の中心という
4つの問題からなるシンプルなものだが,小学校で「邪馬台国」について学んできた生徒たちにとって,
予想外の結果が出るので,けっこう衝撃を与えたと思う。
生徒たちは現行の教科書で学ぶと,近畿説に有利に思考が傾くようだ。
(日本書紀のストーリーにしばられる訳だから)
以来単純計算で3年に一度,5クラス×8サイクル=40クラスで授業してきた。
1クラス40人とすると,1600人と授業したことになる。
私はこの授業で「これで〈邪馬台国〉は北九州で決定ですね」と授業プランで押し付けた訳ではない。
しかし,「〈邪馬台国〉はどこか」を調べる方法を授業したのだと思う。
もちろん生徒たちの授業評価と感想ははうれしいものだった。
そうでなければ,25年も続けることはできない。
この授業プランは私以外の先生たちにも実施していただき,また金属レプリカの貸し出しや
その「貸出方式」の進化(峯岸さんのおかげ)で,短期間に実施できるようになった。
興味のある方はご連絡下さい。
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