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2021年6月 4日 (金)

「謎の四世紀」の史料批判(古田武彦氏)

念のために「新古代学の扉」サイトを検索したら,1つだけヒットしました。

なんと,古田武彦さんの,「謎の四世紀」の史料批判(『邪馬一国の証明』所収)でした。(お恥ずかしい・・・)

見出しをコピーしてみます。

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 「謎の四世紀」の史料批判


 はじめに/『南斉書』の証言/「倭の五王=九州」説の根拠/邪馬嘉国の問題/

「傍国」説と史料分析/表意訳と表音訳/大胆な省略/『広志』の成立年代/結論

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結論のところのみコピーします。

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以上の論証を要約しよう。

中国の正史たる『南斉書』の証言するところによれば,斉から授号された倭王武は,三世紀の卑弥呼の後継王朝であり,

両者間にさしたる王朝断絶の存在した形跡はない。

次に四世紀前後の晋代の書たる『広志』によると,その頃の倭国の首都圏は,筑紫(博多湾岸と筑後川流域)であり,

「八女」付近は,その圏内南辺の中枢地となっていた。

従って右の二史料のしめす所,倭国は三~五世紀を通じて筑紫の中枢部に都する王朝下にあった。

わたしがかつて『失われた九州王朝』の中で提起した,九州王朝がこれだ。

四世紀の倭国は,「謎」ではなかったのである。

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『邪馬一国の証明』(角川文庫)は,1980年に出たそうです。

その元になった『歴史と人物』は,1976年5月号とのこと。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 さすが古田さんですね。
 4世紀の中国側資料を精査すれば、女王国の後継が「倭の五王」であり、その中心領域が筑前筑後であることが証明できると。

 これは資料の性格を十分に批判検討したからこそできることです。

 最近古賀さんが「「倭の五王」時代(5世紀)の考古学」と題して5世紀の遺跡で倭の五王のことを論じていますが、彼は考古学の年代を精査していないので、全部考古学の定説に基づいて考察します。
 この結果近畿はたしかに5世紀の遺跡ですが、九州だと「空白の五世紀」と言われるようにめぼしい遺跡がなくて、須恵器窯跡も6世紀だし巨大古墳も6世紀になってしまう。そして5世紀の最大の都市遺跡は九州ではなく、畿内の大阪上町台地となってしまう。
 九州の6世紀の大規模な須恵器窯跡は5世紀のものだし、6世紀の大古墳も5世紀。
 そして九州にも6世紀と100年後ろにずらされた都市遺跡があるのでしょうね。

 古賀さんは、古田さんがなされた「資料の性格の精査」をしていません。
 とりわけ考古遺跡については、完全に定説通りです。
 こうすることで、近畿一元史観に汚染された考古学の年代観に引っ張られ、九州王朝説を修正することになってしまうわけ。

 やはり一度古田さんに戻り、その方法論や学問の姿勢に立ち戻って、古田さんの研究やその後の研究を再検討すべき時期にきていますね。

 今年の八王子セミナー。「倭の五王」をどう議論するのでしょうね。
 考古学の年代観を批判する視点を持った人はいないから、どうやっても倭の五王に相応しい古墳や都市遺跡や窯跡は「5世紀」の九州にはない、というジレンマに陥るでしょうね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  今年の八王子セミナー。「倭の五王」をどう議論するのでしょうね。
 考古学の年代観を批判する視点を持った人はいないから、どうやっても倭の五王に相応しい古墳や都市遺跡や窯跡は「5世紀」の九州にはない、というジレンマに陥るでしょうね。

ぜひ〈方位の考古学〉の存在に注目してもらいたいところです。

肥沼様
遅ればせながらお礼します。このブログで古田先生が、『翰苑』が引用する『廣志』の百女国から、
倭国の筑後遷都説をスタートさせたことが判りました。読んだ記憶があるのにお恥ずかしい。
ここで、古田先生は『廣志』を三世紀末から四世紀末の間の成立とされていますが、古田先生よりも
15年早く杉本直治郞氏が『郭義恭の「廣志」南北朝時代の驃国史料として』で、『廣志』の成立を
420年から520年と論証しています。なぜこれに気付かれなかったのか不思議です。
杉本説を採ると、古田先生の云う倭国筑後遷都の情報は東晋末もしくは劉宋の時代になって中国に
伝わったことになります。
これは久住猛雄氏の『最古の都市~比恵那珂遺跡群』2018年にある、列島最大規模の都市的集落
比恵那珂遺跡は古墳時代前期前半に一時衰退し、古墳時代後期末から第二の都市化を迎える、に
合致します。このあたりをもう少し探りたいと思います。ありがとうございました。

服部さんへ
コメントありがとうございます。

『邪馬一国の証明』は,いきなり文庫本からスタートしたと思います。
なので,私は入手できなくて読んでいませんでした。

〉 これは久住猛雄氏の『最古の都市~比恵那珂遺跡群』2018年にある、列島最大規模の都市的集落
比恵那珂遺跡は古墳時代前期前半に一時衰退し、古墳時代後期末から第二の都市化を迎える、に
合致します。このあたりをもう少し探りたいと思います。ありがとうございました。

研究はさらに進んでいるのですね。今後ともよろしくお願いいたします。

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