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2021年6月25日 (金)

九州は近畿に遅れていない(川瀬さん)

先週川瀬さんが書いて下さったコメントをよく理解できていなかったので,

また改めて「九州は近畿に遅れていない」ということで掲載させていただきます。

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川瀬さんへ

最初のコメントから,5日間経ち,もう一度読み直してみました。

〉 「倭の五王}=九州王朝 を証明するには


1:記紀の5世紀の記述(継体の前)には中国や朝鮮との通交記録が出てこない。
2:記紀の5世紀の記述(継体の前)の主な記事は列島内統一の事業で、これは主語有無の論証からは近畿天皇家の記事ではなく、九州王朝の記事と理解できる。
 そして
3:中国正史の倭国記事では、倭国の中心部はずっと九州(北部)を示している。
 という文献の記録がまず大事。

  そして大問題は、考古学的にこれが証明できるかどうかだ。
 しかしここには大問題がある。古賀さんが指摘していたように。
4:5世紀の最大の古墳とその集中地は北九州ではなく近畿だ。
 九州では5世紀の大古墳群と言えば西都原古墳群になる=南九州だ。
 北九州の大きな古墳は6世紀になってしまう。
 これをどう理解するか。
5:5世紀の最大都市遺跡は北九州ではなく近畿(大阪上町台地)。
 北九州の大きな都市遺跡は6世紀になってしまう。
 これをどう理解するか。

 この考古学資料からは倭国中心は近畿となり倭の五王=近畿天皇家 となる。

 方位の考古学の威力が発揮されるのはこの4と5の問題。
 九州の考古学編年は、意図的に近畿より100年遅らされている。これが方位の考古学の結論。

 したがって
 九州最大の古墳群西都原古墳群は 5世紀⇒4世紀(九州南部の熊と曾と対抗する最前線)。
 北九州の巨大古墳は 6世紀⇒5世紀。
 北九州の巨大都市遺跡 6世紀⇒5世紀。

 「方位の考古学」の最大の威力は、土器編年が意図的に、九州や関東では、近畿より100年後ろにずらされて、近畿がずっと列島中心であったと考古学が証明する基盤となってきた通説を、根底的に破壊するところにあるのです。

 肥沼さん。自分でやった研究の意義を理解していないね。

→ 川瀬さんがご指摘のように,意義を理解していませんでした。

私は「最初に間違いを指摘されると,全面否定されたように感じてしまい,
最後に追い打ちを掛けられると,なかなか読み返す気にならなくなる」という性分のようです。

川瀬さんのコメントの引用をさせいただき,また本文に取り上げさせていただきます。

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ということで,〈方位の考古学〉により,「九州は近畿に決して遅れていない」という結論になりました。

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【参考 ~ 九州王朝説に刺さった三本の矢】(古賀さん)

《一の矢》日本列島内で巨大古墳の最密集地は北部九州ではなく近畿である。

《二の矢》六世紀末から七世紀前半にかけての、日本列島内での寺院(現存、遺跡)の最密集地は北部九州ではなく近畿である。

《三の矢》七世紀中頃の日本列島内最大規模の宮殿と官衙群遺構は北部九州(太宰府)ではなく大阪市の前期難波宮であり、最古の朝堂院様式の宮殿でもある。

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コメント

肥沼さんへ

>→ 川瀬さんがご指摘のように,意義を理解していませんでした。

 肥沼さんの意識では、ご自身が発見した「王朝によって宮や寺院の方位は意図的に変更されている」という仮説のほうに力点が置かれているのです。
 
 「方位の考古学」は、この仮説に依拠して、6世紀末から7世紀初頭に九州王朝が正方位に変更したということなら、これは全国一斉のはず。
 実際に各地域でこの正方位出現時期を調べてみて、もしずれていれば、土器編年が意図的にずらされている証拠になるにちがいない。
 との仮説に基づいて、全国の古代遺跡の悉皆調査をしたものです。
 そしてこの仮説と検証の元になったのは
 大和の古代遺跡の方位は
  5世紀半ばに、西偏⇒東偏に変更
  6世紀末から7世紀初頭に 東偏⇒正方位に変更
 という事実でした。

  悉皆調査の結果は、この東偏への変更と正方位への変更が地域ごとにずれていることがわかった。
 1:近畿地方を基準とすれば
 2:九州と関東(および南奥州)は100年後ろにずらされている。
 3:中部地方と中国四国地方は50年後ろにずらされている。
 4:北奥州は150年後ろにずらされている。

 この地域ごとのまとまりで年次がずれているということは、これが意図的なずらしであることの証拠。
 つまり土器が全国に広がるには、時間差があるとの認識が背景にあるわけだ。
 この認識が、近畿が政治的中心だから、ここで始まったことが地方に広がるには、遠い所は100年そして中間地帯は50年と、時間がかかったとの、機械的判断がなされた証拠だ。

 そしてこの結果として
 〈方位の考古学〉により,「九州は近畿に決して遅れていない」
 となるわけ。

 だがこれには続きがある。
 北九州が全国の政治的中心なのだから、もしかしたら北九州は正方位の出現などでも、全国より、つまり近畿より早い可能性も残る。

 こういう結論もありうるのです。
 全国一斉と言っても、若干の時間差があるかも  です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  だがこれには続きがある。
 北九州が全国の政治的中心なのだから、もしかしたら北九州は正方位の出現などでも、全国より、つまり近畿より早い可能性も残る。

 こういう結論もありうるのです。
 全国一斉と言っても、若干の時間差があるかも  です。

それはそうだと思います。
主権国家の中心は北九州なのですから…。

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