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2021年5月19日 (水)

学校現場に脳科学を 「三日坊主」責めるのは間違い(横浜創英・工藤勇一校長)

どんな場面でどのくらい取り入れたらいいのかはこれからの問題だが,

教育現場に脳科学を取り入れることの意義は確かにあると思う。

ということでリンクしてみました。

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【学校現場に脳科学を 「三日坊主」責めるのは間違い(横浜創英・工藤勇一校長)】

https://news.yahoo.co.jp/articles/66d7ff9e26c41615d624f6da86a2cf49109260b8?page=1

最新の脳研究でわかった!自律する子の育て方 SB新書 / 工藤勇一  〔新書〕|hmv

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教育」カテゴリの記事

コメント

 日本にもやっとこういう「教育者」が出てきたのですね。
 
 ヨーロッパならば、19世紀末から20世紀初頭にすでに、心理学や認知心理学などの、人間の意識や脳についての科学を教育に応用しようという動きが始まっていました。

 たとえばドイツの、シュタイナー教育を実践した自由ヴァルドルフ学校。
 フランスならば、モンテッソーリの学校や
 さらにはイギリスの、ニールによる、サマーヒル学校など。これはアドラー心理学が応用された実践だ。

 この19世紀末から20世紀初頭の教育運動を「新教育運動」といい、日本でも「大正自由教育」として広がった。

 でも世界のどこでも主流派にはなれなかった。
 国民国家を建設し、均質な国民を教育によって作ろうとしていた国家と、その主導権下での経済成長の成果を享受したいという人々の欲求が、自由な教育とか子供の主体性を生かした教育ではなく、手っ取り早く知識を詰め込む、それぞれの国家が主導した教育を支持したからですね。

 日本では新教育運動の精神は、一部の私立学校(例えば玉川学園や成城学園など)と高等師範学校や師範学校の伝統を引きついた一部の国立大学教育学部(たとえば、信州大学や筑波大学)に継承されただけ。

 20世紀末から21世紀に入って、世界的にまたこの流れが注目され、今度は広がりを見せています。
 この記事で紹介された動きはその一つですね。

 国民国家の乱立が世界大戦を生み出し、戦後の国民国家の経済成長がものすごい格差と差別を生み出した中で、国家による均質な国民を作る教育の弊害が見えてきたからでしょうね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

仮説実験授業は,成城,暁星,和光などの私立からスタートしました。
大正期の自由教育と関係がありそうですね。

>仮説実験授業は,成城,暁星,和光などの私立からスタートしました。
大正期の自由教育と関係がありそうですね。

 確実にそうだと思います。
 仮説実験授業の背景にある教育思想史を調べると面白いと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  確実にそうだと思います。
 仮説実験授業の背景にある教育思想史を調べると面白いと思います。

コメントには書きませんでしたが,最初に板倉さんに指導を願い出たのは,
学習院初等科の上廻昭さんです。
なので,天皇家の人たちは仮説実験授業を知っていると思います。

>コメントには書きませんでしたが,最初に板倉さんに指導を願い出たのは,
学習院初等科の上廻昭さんです。
なので,天皇家の人たちは仮説実験授業を知っていると思います。

 すごい話ですね。
 天皇家の人々は当代最高の教育を受けているわけだ。
 自分の頭を使って考えろという。

 この学習院初等科の方が板倉さんに指導を願い出た日時はわかりますか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。


『板倉聖宣 その人と仕事』(キリン館)というガリ本があって,
その中に上廻昭氏自身が「板倉先生との出会い~国立教育研究所に
内地留学しころ」という5ページの文章を書いています。
それによると,1963年2月に出会っています。板倉さんの講演会を聞きに行ったようです。
すぐに内地留学を希望。
「その講演が終わったあと私はすぐに先生を追い,
「指導していただきたい」とお願いし,承諾を得た」とありました。
その年の夏には科教協の大会で仮説実験授業を提唱していますから,
ものすごいスピードです。
ちなみに庄司和晃(成城)・吉村七郎(暁星)・平林浩(和光)らと一緒に
「火曜研究会」というのを毎週やっていたようです。かつ丼を食べながら。

肥沼さんへ

 上廻昭氏の経歴をウィキペディアの仮説実験授業で調べると、
 学習院初等科教諭を経て成城学園初等学校教諭
 とありました。
 いつまで学習院初等科で教えていたのでしょうね。
 天皇さんは1960年2月生まれですから、学習院初等科入学は7歳になる前の1966年4月。
 秋篠宮は1965年11月生まれですから、学習院初等科入学は7歳になる年の1972年4月。
 それぞれの時期に上廻昭氏は学習院初等科にいたのでしょうか。
 そして浩宮や礼宮が入学したあと上廻昭氏が彼らを担当していたのでしょうか。
 ここまで調べて初めて「天皇家の人たちは仮説実験授業を知っている」と言えるのですが。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

1964年発行の本に「学習院6年」の上廻昭さんの記録があるので,
ギリギリ教えていないかもしれません。
他の先生が教えた可能性はありますが。

ちなみに,橋下大二郎氏(1947年生まれ)のサイトには,
「■小学校は、学習院の初等科に行きました。ここでは、民主党の鳩山由起夫さんや、さきがけにいた水野誠一さんらが同級生でした。僕も、一応政治家の仲間に分類されると思いますので、政治家の同級生だけをあげてみましたが、他意はありません。初等科は、丸坊主の短パンですので、可愛らしい写真が残っています。

■先生では、上廻昭先生と、今も親しくしています。上廻先生は、学習院から成城に移られた後、すでに退職されていますが、今も仮説実験授業に力を入れておられます。
ここは、その内容を説明する場ではありませんが、細かすぎる学習指導要領に縛られて、または、そこに安住して、子供たちから考える力を奪っている現在の教育の在り方には、大いに疑問を感じます。」

もちろん橋本氏は,仮説実験授業は受けていません。

川瀬さんへ

「教育改造」という雑誌(成城学園初等学校研究推進部。1965年10月)に,「仮説実験授業の授業運営法 / 上廻昭」を見つけました。
1964年発行の本に「学習院6年」の上廻昭さんの記録と考え合わせると,ここが「ONライン」のようです。

川瀬さんへ

上廻昭さんとともに研究した小野田三男さんはその後も学習院初等科に在籍し,校長にもなっています。
『仮説実験授業記録集成〈電流と磁石〉』(国土社)も出しているようです。
この人が教えた可能性はあると思います。

肥沼さんへ

 残念ながら今の証拠では、「天皇家の人々は学習院初等科で仮説実験授業の授業をうけたかもしれない」というところまでですね。
 上廻昭は1964年春に学習院から成城学園に移ったのは確実。
 小野田三男はその後も学習院に留まり初等科学科長にまでなっている。

 この方が教えた可能性はある。
 この人の詳しい経歴が必要だね。
 学習院初等科に何時から何時まで在籍したか。
 その間どの学年を担当したのか。

 これがわかって先の肥沼仮説「天皇家の人々は学習院初等科で仮説実験授業の授業をうけたかもしれない」が証明されるか否定されるかが決まるのでしょうね。
 さあどうする・・・・・・。どうやって調べる?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

とりあえず『仮説実験授業記録集成・電流と磁石』の入手をしてみたいと思います。この本が出たのは,1972年のようですから,天皇さんの時期(卒業の翌年)にあたります。それをネタに,竹内三郎さん(仮説社の前社長)に話を聞いてみます。大切な「生き証人」ですので。

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