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2021年4月13日 (火)

渡る「九州王朝」は鬼ばかり!?

川瀬さんの精査により,

九州王朝の6世紀末~7世紀初頭の情勢が明らかにされつあります。

たいへん雑な地図ですが,国府・国分寺の方位を記入してみました。

最近亡くなった橋田寿賀子さんの作品になぞらえていえば,

〈渡る「九州王朝」は鬼(政府に従わない豪族たち)ばかり〉という感じでしょうか。

東偏→正方位の政策を行いたい政府に対して,

西偏のまま換えなかったり,正方位から西偏に変えたり,

これで公地公民を行うなんてとても難しそうです。

Img_0161 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 地図にしてみると良くわかりますね。
 これに付け加えると、長門は不明だが、周防は国府も国分寺も東偏。

>これで公地公民を行うなんてとても難しそうです。
 同感です。
 でも「大化」改新のとき、「公地公民制」+「国郡里」制を宣言した直後に、諸国監察使としての「国司」を派遣したのは「東国六か国」だった。
 つまり筑紫太宰府に都する九州王朝にとって、その周囲や西に位置する九州の諸豪族は、なんとかこの時期までには統合していたということでしょう。でも国府や国府寺を、「西→正」に変更させるような力はなかったのだろうね。
 この「東国六か国」とは、前記の周防の東に広がる、まだまだ完全には服属していない六か国ということでしょう。
 おそらく、安芸・備中・備前じゃないかな。
 ここはみな国分寺が西偏の地域(備後は正方位。播磨も正方位)。
 あとは四国の中の、伊予と土佐と阿波かな?ここも西偏。讃岐は正方位。
 北陸道はほとんど正方位か東偏だ。
 出雲(東)・伯耆(東)・因幡(東)・但馬(正)・丹波(正)。

  こうやって国分寺(国府も入れると完璧だ)の方位から、九州王朝内の勢力分布が読めるわけだ。
 興味深いね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 地図にしてみると良くわかりますね。

私には川瀬さんのような精査は難しいので,
地図にあらわしてグラフ化してみました。

〉 こうやって国分寺(国府も入れると完璧だ)の方位から、九州王朝内の勢力分布が読めるわけだ。
 興味深いね。

本当にそうですね。
「東偏・僕」の東偏集めから始まって,やがて正方位・西偏と発展して,〈方位の考古学〉へ。
そして,今回の国府・国分寺のの方位の精査により,「九州王朝内の勢力分布」を読み取るところまで,「思えば遠くへ来たもんだ」という感じです。

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