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2021年3月20日 (土)

左前と右前~〈着物の着方〉の歴史

今着物は「右前」で着ます。

「左前」は死に装束で,それではまずいわけです。

間違えないようにするために,以下のことを覚えておきましょう。

【右前の覚え方】

着物を着るときの「前」という言葉の意味は、

時間が前という意味で先に合わせた方を「前」と呼びます。

もう迷わない!着物の前合わせは「右前」!忘れにくい覚え方は ...の画像

ところで,「右前」はいつ頃から常識になったのでしょうか?

それは1300年前からです。

「続日本紀」の養老3年(719年)2月3日の記事「初めて全国の人々に,衣服の襟を右前にさせ・・・」

がその始めと言われています。

ということは,「その前は左前だった(あるいは両方あった)」ということを表しているのではないでしょうか。

白村江の戦いに負けて,九州王朝から大和王朝に交代する中で,

唐のルールで着物の着方も改められ,「左前」→「右前」が行われたと私は思うのですが・・・。

720年に日本書紀の作られる前の年の出来事でした。

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【知恵袋のアンサーから】

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今春発行される『卑弥呼と邪馬壹国』(明石書店)の卑弥呼は,どちら前の着物?

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コメント

肥さんへ

倭人は「呉太伯の後裔」と自称していたそうです(「自謂太伯之後」)。
太伯は周王朝の祖の古公亶父の長子。その国号は「句呉」のちに「呉」と改めた。
ということが事実なら、「左前」は周王朝に倣ったのでしょうね。
いまだに、和服の反物を売る店は「呉服屋」ですね。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

「右前にさせた」という「続日本紀」の記事(719年)は,前から気になっていたものですが,
もしかしたら左前は,めちゃくちゃ古い淵源を持っているのかもしれませんね。
弥生時代の卑弥呼は貫頭衣を着ていたのか,着物だったのか?
着物だとすれば,それは左前の呉服だったのではないか?
などと想像しています。

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