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2021年3月 3日 (水)

肥前国に「2つの勢力」あり~1年半前の全国遺跡の精査を思い出す

現在,多元的「国分寺」研究では,肥前国分寺について検討している。

実は肥前国の官衙遺跡の集計について,すでに1年半前の〈方位の考古学〉の全国の遺跡精査で扱っていた。

その結果は,以下の通りだ。

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佐賀県の〈官衙遺跡〉の集計 9/13

【肥前】

~6世紀半ば・・・

6世紀後半・・・

6世紀末葉・・・

7世紀初頭・・・

7世紀前半・・・

7世紀半ば・・・

7世紀後半・・・千々賀古園(西),寺浦(西),原古賀黒木(東)

7世紀末葉・・・御手水(正方位)

8世紀初頭・・・久地井B・Ⅲ区(西),中原(西)

8世紀前半・・・北原・一次調査区(東),惣座(西)

8世紀半ば・・・西山田三本松(西),蔵上(西),八ツ並金丸(東),志波屋三の坪乙(正方位),志波屋三の坪甲(ほぼ正方位),中園(全体として西。地区によって方位はバラバラ),志波屋四の坪(西→正方位),志波屋二の坪(西),吉野ヶ里丘陵地区Ⅴ区(西)

8世紀後半・・・久地井B・Ⅲ区(正方位),久地井六本杉(西),惣座(ほぼ正方位),東古賀(BC区と1区4区はほぼ正方位・3区は西偏),肥前国府(小規模の西。9世紀前半に大規模の西),坊所一本谷Ⅰ区(東)

8世紀末葉・・・西山田二本松A・B(西・官衙群が南に異動する+西側に小型の高床倉庫が作られる)

9世紀以降~・・・コマガリ(ほぼ正方位),北原・三次調査区(9世紀後半はほぼ正方位→10世紀後半は東偏7度),東山田一本杉(9世紀初に正方位),惣楽(東),吉野ヶ里地区Ⅱ~Ⅴ区(西),塚原(西)

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※ 大黒町(年代不明だが,東・正方位)

※ 坊所一本谷Ⅱ区は,年代不明。方位は総柱建物群は,西偏。他は,東偏。

※ 八藤は,5区:総柱建物群 西偏
       6・7区:北部=西偏 

       中央部=東偏と正方位
       8・9区:正方位と西
      

       10・11区:西偏

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この「肥前国(佐賀県)の官衙遺跡の集計」について,川瀬さんは以下のように書いていた。

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(川瀬さん)集計お疲れ様です。
 こうやって一覧表にしても西偏官衙が目立ちますね。東偏と正方位は佐賀県のどの地区なのか。精査しているときから東の方だと気になっていましたので、はっきりさせてみました。

●佐賀県東偏官衙所在地
原古賀黒木 7世紀後半      佐賀県三養基郡みやき町大字原古賀
北原    8世紀前半      佐賀県佐賀市大和町大字久池井
八ツ並金丸 8世紀半ば      佐賀県鳥栖市弥生が丘二丁目・三丁目・四丁目
坊所一本谷 8世紀後半      佐賀県三養基郡上峰町大字坊所字七本谷

●佐賀県正方位官衙所在地
御手水   7世紀末葉      佐賀県佐賀市久保泉町大字川久保字御手水
志波屋三の坪乙 8世紀半ば・   佐賀県神埼市神埼町大字志波屋字三の坪(乙)
志波屋三の坪甲 8世紀半ば・   佐賀県神埼市神埼町大字志波屋字三の坪(甲)
久地井B・Ⅲ区 8世紀後半    佐賀県佐賀市大和町大字久池井
惣座      8世紀後半    佐賀県佐賀市西山田大字久池井字四本杉
東古賀     8世紀後半    佐賀県佐賀市久池井

 近畿王朝の時代である9世紀以後ははぶきました。
 一目瞭然ですね(地図にいれればもっとわかるが)。肥前国の中の佐賀より東の地域。つまり筑前に接した地域だけなのです。
 つまり九州王朝が東偏であった時代と正方位であった時代。それぞれの時代に肥前で東偏や正方位の建物が作られたのは国府が置かれたところよりも東の筑前に接した場所。
 言い換えればこの地域が九州王朝の直轄地で、その他は別の権力者がいたということ。近畿天皇家じゃないかな?

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そこで私(肥沼)は,それを分布図に描いてみた。

Img_4500

一目瞭然。九州王朝の指示通りに動いたのは,筑前に従っていた東部の勢力だけだった。

川瀬さんのコメントは,以下のようだった。

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(川瀬さん)

肥沼さんへ

 肥前国の東偏正方位遺跡の分布図。ありがとうございます。
 見事に肥前の東側。正確には筑前と肥前の間にある背振山地の東部の南麓。

方位の考古学の威力を示す実例になりますね。
 まさか肥前国が東部の筑前周辺域を除いて、九州全域とはことなり、西偏の寺院官衙群地域だったとは。この事実を説明するには、この地域が近畿天皇家の領地だったとする仮説を提示する以外にはできませんね。

私(肥沼)は,うなってしまった。

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川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 方位の考古学の威力を示す実例になりますね。
 まさか肥前国が東部の筑前周辺域を除いて、九州全域とはことなり、西偏の寺院官衙群地域だったとは。この事実を説明するには、この地域が近畿天皇家の領地だったとする仮説を提示する以外にはできませんね。

本当に「遺跡は嘘をつかない」と思いました。
まさか,こんなにはっきり結果が出るとは・・・。

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【肥前国の西部】     背    【肥前国の東部】

近畿天皇家の領地   振    九州王朝の直轄地

(西偏の遺跡)      山    (東偏・正方位の遺跡)

肥前国府(西偏6度)  地

肥前国分寺(西偏4度)

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「国分寺」の塔基壇カードを作った際,肥前国分寺のものが破格に大きくて驚いた。

一時は,本のミスプリかと思ったほどだった。(「ホントかな?」なんて付け加えている)

しかし,ミスプリではなく,それは本質を表していたのだった。

東大寺の塔基壇(24m)に勝るほどの肥前国分寺の塔基壇(2⒌m)を作るということは,

「大和政権の支持者が多くいる地域」だということだったのだ。

【「国分寺」の塔基壇カードを並べてみる】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/02/post-31f30e.html

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