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2021年3月 7日 (日)

各時代の遺跡・遺構・遺物と共に

考えてみると,私は各時代の遺跡・遺構・遺物と共にあることに気が付く。

それらを改めて書き出してみよう。

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(1)旧石器時代の砂川遺跡(所沢市三ヶ島)・・・黒曜石の製作の過程がわかる。

 明治大学の博物館(御茶ノ水)に展示されている。

Img_9299_20210307062301

(2)縄文時代の膳棚遺跡(所沢市山口)・・・団地の造成と共に大量の土器が出土。

 所沢市立埋蔵文化センターに展示されている。

Img_9289_20210307062201

(3)飛鳥時代の東山道武蔵路(所沢市立南陵中学校)や瓦塔(東村山市多摩湖町。

現在本体は東京国立博物館。後から発見されたかけらが東村山市のたんけん館)。

従来の年代判定を〈方位の考古学〉により,100年遡らせた。

東山道武蔵路の遺構の写真

13_1_市史119P_瓦塔(東京都東村山町出土)

(4)奈良時代の(東村山市山口か)獣脚付蔵骨器(市有形文化財)

http://www.tokuzo-ji.com/storage/

昭和49年6月指定 高さ22cm 幅22.3cm蓋付きで3本の獣脚に支えられた須恵質のつぼ型蔵骨器。

中にあった人骨や木炭の放射性炭素年代測定によって、奈良時代末から平安初期、約1200年前のものとされる。

明治40年(1907)頃、埼玉県入間郡山口村(所沢市山口)で発見されたと いわれ昭和3年(1928)徳蔵寺に納められた。

(5)鎌倉時代の正福寺(東村山市野口町)~ 鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構 。国宝です!

葺き替え完了直後の正福寺地蔵堂

 北条時宗が鷹狩りの折病気になり、夢枕に黄衣をまとった地蔵菩薩が現れ丸薬をくれた。これを飲み、眠りから覚めたら病が治ったので、地蔵尊を信仰して、弘安元年(1278年)正福寺を開創したと寺伝にあります。しかし、昭和9年改修の際発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407年)の建立とわかりました。鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構で、国宝建造物として名高いものです。
 なお、国の指定名称は正福寺地蔵堂ですが、堂内に奉納された小地蔵にちなみ、地元では正福寺千体地蔵堂とも呼ばれています。

(6)鎌倉時代末期の元弘の板碑(徳蔵寺)

http://www.tokuzo-ji.com/storage/

大正3年8月指定 高さ147cm 幅44cm
元弘3年(1333)5月8日、討幕の兵を挙げた新田義貞は、鎌倉街道に沿って進み、5月22日に、鎌倉の北条氏を滅亡させた。

徳蔵寺板碑保存館に安置されている元弘の碑には、小島法師が著したといわれる「太平記」・・・(1370年頃加筆完成)の記述を裏づけるように、新田の将士、齋藤氏3人の討死者名が刻まれ戦史を実証している板碑として有名である。

この碑は、もと狭山丘陵東端の八国山中腹の永春庵にあったが、庵と共に、徳蔵寺に移された。

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