« 飛鳥地方の鳥観図(「エビノコ郭」情報を含む) | トップページ | 平曲会 3/21 »

2021年3月21日 (日)

630~639年あたりで,「西偏」→「正方位」という人がいたが・・・

興味深い資料を見つけた。(酒井龍一「蘇我馬子の都市計画」)

方位を手掛かりに時代の変化を探ろうとしている。

それによると,630年までが「西偏」で,その後639年から「正方位」に変化していく。

これは東アジアの国際情勢と対応しているのではないかと思う。

(631年の記事「表仁綏遠の再無く,王子と礼を争い,朝命を宣べずして還る」など)

つまり,唐と倭国・日本国の関係の逆転である。

(倭国>日本国 → 倭国<日本国)

飛鳥寺(588年)が例外となるように見えるが,

これは蘇我氏を日本国のお目付け役(もともと正方位)と考えるとわかりやすいのではないか。

つまり,九州王朝の「正方位」ということだ。

Img_9591

Img_9592

もしこれが正しいと,〈方位の考古学〉の近畿天皇家の動きも,

「7世紀後半から正方位」を,「7世紀前半から正方位」に訂正しなければならないが・・・。

 

« 飛鳥地方の鳥観図(「エビノコ郭」情報を含む) | トップページ | 平曲会 3/21 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 百済大寺と飛鳥板葺宮が正方位だと。
 そんな根拠はないと思うよ。遺跡から見て。
 ここに示された長柄豊碕宮は前期難波宮だから7世紀後半。そして確実なのは後岡本宮から初めて正方位だ。

 >631年の記事「表仁綏遠の再無く,王子と礼を争い,朝命を宣べずして還る」など
 この記事は九州王朝の話。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

そうですか。
確かめてみたいと思います。

あと,川瀬さんに質問なのですが,
「後岡本宮から確実に正方位」ということでしたら,656年は7世紀半ばというこにはなりませんか?
あるいは,その年代比てい自体が間違っているのでしょうか?
資料によっては,「下層の板蓄宮が初めての正方位」というものもあったので・・・。
なにぶん重層遺跡なので難しいところですけど。

I期が飛鳥岡本宮(630 - 636年)
II期が飛鳥板蓋宮(643 - 645、655年)
III期が後飛鳥岡本宮(656 - 660年)、飛鳥浄御原宮(672 - 694年)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 飛鳥地方の鳥観図(「エビノコ郭」情報を含む) | トップページ | 平曲会 3/21 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ