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2021年3月31日 (水)

軒丸瓦の変遷から見た「武蔵国分寺」(訂正版)

                              時期          方位    軒丸瓦

◎創建期の「武蔵国分寺」(九州王朝時代)・・・7世紀初頭から中頃・・・正方位・・・素弁から単弁

 ※ 白村江の戦い → 九州王朝の滅亡 → 王朝交代(大和王朝時代へ)

 ※ 白鳳期(7世紀後半)から8世紀にかけて流行した複弁は出土しない。

                       → この時期にはこの寺院はないということを示している。
                         つまり記録にはないが、火災か何かの原因でで塔だけ残して消滅。

 ※ 741年の聖武天皇の「国分寺建立の詔」 → この時期にこの寺は再建されている。
                         正方位の塔を拡大して七重塔にする。
                         消滅した正方位の初期伽藍を避けて西側に西偏7度で金堂院建立。

◎再建期の「武蔵国分寺」(大和王朝時代)・・・8世紀中頃・・・西偏7度・・・リバイバル単弁(8世紀中頃)

  835年,(拡大された塔1が)火災に遭う。

  845年,男衾の大領・壬生吉志福正が(拡大された塔1の)再建を申し出て,許される。

 ※ 塔2(ほぼ正方位)からは,平安以降の巴文しか出土しない。

 

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コメント

肥沼さんへ

 この検討。本当に、例えば「新修国分寺の研究」の武蔵国分寺に関する研究を見て、その中の出土瓦を検討した結果なのでしょうか。
 そして前に検討した際に、「新修国分寺の研究」には記されていないことだが(「国分寺の創建」の武蔵国分寺の項に書いてある)
  塔1の西にほぼ正方位の塔2がある。ここには巴文しか出土しない。
 とした事実が忘れ去られている。

★「新修国分寺の研究」の武蔵国分寺の項の瓦
 1・2・11・12の瓦。六弁の単弁蓮華文軒丸瓦。これは花弁の細い平城宮でのリバイバル単弁の一例。
 さらに8の15弁の単弁蓮華文軒丸瓦も平城宮の第二次大極殿などで見られるリバイバル単弁だ。
 このように武蔵国分寺では8世紀中頃のリバイバル単弁が多く出土している。

 一方数はそんなに多くないが素弁蓮華文軒丸瓦もある。9。六弁だが盛り上がった線で花弁を表現しただけで子葉はない。
 6も素弁だろう。

 さらに3・4・5・7・10は花弁がふっくらと盛り上がる形で子葉を表現した7世紀中頃の単弁と考えられる。

★ したがって 武蔵国分寺の変遷は

>創建期の「武蔵国分寺」(九州王朝時代)・・・7世紀初頭・・・正方位・・・素弁・単弁
 との記述は、7世紀初頭から中頃 とすれば正しい。

>※ 白鳳期(7世紀後半から8世紀にかけて)に流行した複弁は出土しない。
 ここは 白鳳期(7世紀後半)から8世紀にかけて流行した複弁は出土しない。
 と訂正すれば正しい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→この時期にはこの寺院はないということを示している。
                           つまり記録にはないが、火災か何かの原因でで塔だけ残して消滅。

>※ 聖武「国分寺建立の詔」
   この時期に照応するのが前記のリバイバル単弁群だ。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→この時期にこの寺は再建されている。
                             正方位の塔を拡大して七重塔にする。
                             消滅した正方位の初期伽藍を避けて西側に西偏7度で金堂院建立。

>835年,火災に遭う。
845年,男衾の大領・壬生吉志福正が再建を申し出て,許される。
再建期の「武蔵国分寺」(大和王朝時代)・・・9世紀中頃・・・西偏7度・・・リバイバル単?

 この定説での「再建期」は文字通りに平安時代。つまり軒丸瓦は巴文。リバイバル単弁は7世紀中頃の聖武朝のみの出来事。
 835年に火災にあったのは拡大された七重塔。だからここの西側にほぼ同じ規模で正方位の塔を建てた(塔2)。
 金堂院からは巴文の瓦はなく、塔2にしか巴文はないのだから、聖武詔で再建された西偏7度のリバイバル単弁軒丸瓦で葺かれた金堂院は平安時代にも健在であったとしか考えられないです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

最初『新修国分寺の研究』(平成3年)を見ていたのですが,
だんだん『武蔵国分寺のはなし』(平成26年)へと移動しました。

忘れていたり,勘違いしていたことがありましたが,最近「軒丸瓦の分別表」を作ったものですから,
武蔵国分寺の謎も軒丸瓦の変遷で解けるかもしれないと思って挑戦してみることにしました。
すでに川瀬さんが解かれていたかもしれませんが・・・。

〉 リバイバル単弁は7世紀中頃の聖武朝のみの出来事

これは「8世紀中頃」ですね。

肥沼さんへ

>再建期の「武蔵国分寺」(大和王朝時代)・・・9世紀中頃・・・西偏7度・・・リバイバル単?
 ここが理解できませんでした。
 リバイバル単弁は8世紀中頃の聖武朝の時期だけのもの。

 「武蔵国分寺の話」を見て、なぜ肥沼さんが間違ったか理解できました。
 p102には、「創建期:単弁八葉蓮華文軒丸瓦」「再建期:単弁六葉蓮華文軒丸瓦」とありました。
 この「単弁六葉蓮華文軒丸瓦」=リバイバル単弁。
 と判断したことは正しかったが、
 この本の通説に引っ張られて、再建期=9世紀 としてしまったので、先の間違いが出てきたわけです。

 通説は国分寺が聖武詔で作られたと考えているから=創建期。
 835年,火災に遭う。845年,男衾の大領・壬生吉志福正が再建=再建期。
 となるわけ。

 でも私たちは素弁があり、しかも塔1が正方位だから、年代は7世紀初頭=創建期。と考える。
 だから「リバイバル単弁」が多数出土するのだから、8世紀中頃=再建期 と考え、
 845年,男衾の大領・壬生吉志福正が再建=再再建期 と考え、焼けたのは塔だから塔が再建されたと考える。

 ※ちなみに塔1は再建されていない。塔2が9世紀に作られた「再建の塔」。「武蔵国分寺の話」のp54に「巴文」が入った「蓮華文軒丸瓦」が塔2出土と明記されている。

 この通説と私たちの考えの違いに気が付かないで、再建期=リバイバル単弁
 としてしまったわけですね。
 ただし「再建期=リバイバル単弁?」とクエスチョンマークが付いているから、ここに疑問を持ったわけだ。

 でも肥沼さんはこの疑問を突き詰めずに放置した。

 突き詰めれば、リバイバル単弁=8世紀中頃の瓦=この時期に再建されている
 との結論に到達できたわけです。

 読みが甘いね。瓦の文様だけで自分で判断し、本の著者の「判断」は無視すること。通説は間違っているのだから。

 ちなみに「武蔵国分寺の話」のp103の瓦
 最初の4つ=7世紀中頃の単弁。
 次の4つ=8世紀中頃のリバイバル単弁。
 最後の4つ=7世紀初頭の素弁。

 p101の瓦は
 1:7世紀中頃の単弁。
 2:8世紀中頃のリバイバル単弁。
 3・4・5:7世紀初頭の素弁。4は法隆寺若草伽藍で出ている「パルミット文」が入った素弁蓮華文軒丸瓦。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 ちなみに「武蔵国分寺の話」のp103の瓦
 最初の4つ=7世紀中頃の単弁。
 次の4つ=8世紀中頃のリバイバル単弁。
 最後の4つ=7世紀初頭の素弁。

 p101の瓦は
 1:7世紀中頃の単弁。
 2:8世紀中頃のリバイバル単弁。
 3・4・5:7世紀初頭の素弁。4は法隆寺若草伽藍で出ている「パルミット文」が入った素弁蓮華文軒丸瓦。

わざわざありがとうございます。

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