« 東日本大震災からの10年 | トップページ | 頭慢ライブ@石垣島(たかしの店)2021・3・6 »

2021年3月12日 (金)

椿市廃寺は,飛鳥寺式の伽藍配置だった?

前に椿市廃寺を検討した時に,川瀬さんがこうコメントした(疑問を呈した)ことがあった。

その時には東偏に関心があったのでそこで終わってしまったが,

最近は伽藍配置が気になるので,それを取り上げてみよう。

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/09/post-8132.html

でも四天王寺式の伽藍の寺を「7世紀末~8世紀初頭に建立」で良いのでしょうか。

あと50年は前のものじゃないでしょうかね。 」(川瀬さん)

ということは,「 塔を中心としてその東・北・西に金堂を置く飛鳥寺式伽藍配置が最も古く,

塔・金堂・講堂を一直線に並べる四天王寺式がこれにつぐ。 」というルールからすると,

飛鳥寺式のように思えてきた。いかがでしょうか?

当時はまだ〈方位の考古学〉に思い至っていなかったので,「不思議だなあ」で終わっていましたが,

(椿市廃寺は九州の遺跡なので)100年遡らせるとすると,

「椿市廃寺は飛鳥寺(6世紀末~7世紀初頭)と並ぶ,飛鳥寺式の最古級の古代寺院だった」

ということにならないでしょうか?いかがでしょう。

« 東日本大震災からの10年 | トップページ | 頭慢ライブ@石垣島(たかしの店)2021・3・6 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 たしかに推定伽藍模式図をみると、塔の東と西に不自然なほどの空間があるね。
 それに四天王寺式と見たときには、もっと伽藍が南北に長いと思う。

 7世紀末から8世紀初頭との判断は土器編年だから100年遡る。
 したがって6世紀末から7世紀初頭となり、飛鳥寺と全く同じ年代となる。

 推定のように飛鳥寺様式の伽藍である可能性もあるね。
 塔の東と西はまだ掘っていないから、ここに二つの金堂の遺構が眠っているかも。

追伸
 
 東偏8度だから東偏時代。
 ということは6世紀末までが東偏時代だから、その東偏時代の最後を飾る寺院かもしれないね。もしかしたら飛鳥寺より古く、飛鳥寺(正しくは法興寺)は、九州王朝が正方位を取る前の時代にすでに流行していた「飛鳥寺様式」を新たな正方位で作ったものかもしれないですね。
 そうそう。同じ東偏の薩摩国分寺が飛鳥寺様式であったのだから、九州では東偏時代にすでに飛鳥寺様式があったことの例が二つ見つかったことになります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  東偏8度だから東偏時代。
 ということは6世紀末までが東偏時代だから、その東偏時代の最後を飾る寺院かもしれないね。もしかしたら飛鳥寺より古く、飛鳥寺(正しくは法興寺)は、九州王朝が正方位を取る前の時代にすでに流行していた「飛鳥寺様式」を新たな正方位で作ったものかもしれないですね。
 そうそう。同じ東偏の薩摩国分寺が飛鳥寺様式であったのだから、九州では東偏時代にすでに飛鳥寺様式があったことの例が二つ見つかったことになります。

そうなんです。
これまで飛鳥寺式が大和の飛鳥寺しか見つかっていなかったものだから,
「大和が一番古い」というイメージを与えていましたが,
「東偏の飛鳥寺式」は「正方位の飛鳥寺式」より古い訳で,
九州が飛鳥寺式のスタートだということが言えそうです。
これは大収穫かも!

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 東日本大震災からの10年 | トップページ | 頭慢ライブ@石垣島(たかしの店)2021・3・6 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ