« Soundyシリーズが,50回目前 | トップページ | 日本ハムとの練習試合 2/20 »

2021年2月20日 (土)

594年の謎

法隆寺の塔の柱の伐採年・・・594年

『聖徳太子伝記』の「66の国府寺建立記事」・・・594年

奇しくも同じ年であった!

« Soundyシリーズが,50回目前 | トップページ | 日本ハムとの練習試合 2/20 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 興味深い一致ですね。
 法隆寺がもともとは九州王朝の寺院であって、それを移築したというのは、古田学派では定説ですが、その元の寺院が特定されていない。
 最も私は、この寺院のもともとの名前は元興寺で、これは太宰府の中心寺院であった観世音寺の前身だと考えています。
 観世音寺という名前は、伽藍のほとんどを大和に移築されてしまったあとに作られた寺院の名。
 観世音寺遺跡から素弁蓮華文軒丸瓦がでているので、これが元興寺の最初の瓦でしょう。
 つまりこの寺院は諸国に作られた「国府寺」の中心となる寺院で、後の近畿王朝でいう東大寺の位置を占める寺だと思います。

 この法隆寺塔の心柱の伐採年が『聖徳太子伝記』の66の国府寺建立・・・594年と一致するということは、この伝えが、九州王朝が全国に国府寺ネットワークを作らせた痕跡だということの一つの証拠になるでしょうね。

 つまり全国の国府寺は、中心の元興寺を含めてみな、五重塔を備えていた。
 聖武はこれを乗り越えたかったから、七重塔を諸国に立てさせ、中心の東大寺にはさらに巨大な九重塔を建てたのでしょうね。

 以上、私の仮説です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 興味深い一致ですね。

これは偶然とは思えません。

〉 以上、私の仮説です。

かなり素晴らし過ぎる仮説だと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« Soundyシリーズが,50回目前 | トップページ | 日本ハムとの練習試合 2/20 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ