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2021年2月15日 (月)

「国府寺(国寺)」の方位と建てられた時期

今から5年前,多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げた頃,

私は「国分寺はなかった!」という文を書いた。

そこには,「『聖徳太子伝記』に見える、告貴元年(594)の年に「66国の国府寺建立」記事

   と
『続日本紀』に見える、天平13年(741)の年に聖武天皇の「国分寺建立の詔」記事
との間にどんなことがあったのかを解明していくのが,多元的「国分寺」研究のキモである」と。
あれから5年,私たちは様々な試みを展開し,ようやく〈方位の考古学〉に至ることができた。
泉官衙遺跡の「正倉院」「寺院地」の変遷: 肥さんの夢ブログの画像

ところで,泉官衙遺跡という私が注目してきた遺跡がある。

藤木海著『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』(新泉社)によると,

Ⅰ期の東偏が建てられた時期を,7世紀後半から8世紀初頭としている。

これを〈方位の考古学〉で100年遡らせると,6世紀後半から7世紀初頭。

だいぶ前に書いた文章なので忘れていたが,

この「6世紀後半から7世紀初頭」にあたる年代があったわけだ。(上記の『聖徳太子伝記』)

これをそれにあてはめてみると,「聖徳太子」が建てた国府寺は,もしかしたら

泉官衙Ⅰ期と同じ「東偏」だったのではないかということである。(仮説1)

(もちろん,この「聖徳太子」は大和の厩戸皇子ではなく,九州王朝の多利思北孤だと考えるが)

ところで,今から2年半前に川瀬さんに調べていただいた次のデータがある。

多くの国分寺が「東偏」の証拠を残していたのだ。

「奈良文化財研究所の古代寺院遺跡データベースを使えば、さらに多数の東偏寺院が見つかると思います。 

とりあえず昨夜3時間ほどつかって国分僧寺と尼寺だけ検索して点検してみました。

その中にいくつも東偏のものがありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇常陸国分尼寺 東偏5度
〇下総国分寺 塔西偏5度 金堂東偏5度 講堂東偏3度
〇下総国分尼寺 東偏5度
〇安房国分寺 金堂東偏7.5度
〇佐渡国分寺 東偏10度
〇越中国分寺 東偏4度
〇甲斐国分寺 東偏5度
〇甲斐国分尼寺 東偏5度
〇信濃国分寺 東偏3度
〇信濃国分尼寺 東偏5度
〇飛騨国分寺 東偏5度
〇飛騨国分尼寺 東偏5度
〇伊賀国分寺 東偏4.5度
〇伊賀国分尼寺 東偏7.5度
〇淡路国分寺 東偏3度
〇紀伊国分寺 東偏5度
〇出雲国分寺 東偏5度
〇周防国分寺 東偏5度
〇筑前国分寺 東偏2度
〇筑前国分尼寺 東偏2度

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国府寺(国寺)→金光明四天王護国寺→国分寺ということであるなら,

最初にそれを建てたのは,6世紀後半~7世紀初頭の九州王朝だと言えるのではないか。(仮説2)

(聖武天皇は,「七重塔」を付け加えよと,741年の「国分寺建立詔」で命じたに過ぎない)

【国分寺建立詔】

http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage1099.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
>この「6世紀後半から7世紀初頭」にあたる年代があったわけだ。(上記の『聖徳太子伝記』)
これをそれにあてはめてみると,「聖徳太子」が建てた国府寺は,もしかしたら
泉官衙Ⅰ期と同じ「東偏」だったのではないかということである。(仮説1)

 この仮説は間違いだと思います。
 方位の考古学では九州王朝の寺院や官衙の方位は次のように変わったと考えました。
6世紀中頃~東偏
6世紀末から7世紀初頭~正方位
 告貴元年(594)は6世紀の末ですから正方位です。

 そしてこの正方位の年代を定めた法興寺(飛鳥寺)を近畿王朝が建て始めたのが崇峻5年(592年)で完成が推古4年(596年)です。
 まさに告貴元年(594)なら正方位の時代なのです。
 だからこの告貴元年(594)以後に作られた国府寺は正方位に違いない。
 そしてこれ以前に作られた国府寺には東偏に正方位が混ざっているでしょう。

 では全国に残る国分寺の中の東偏の痕跡は何を意味しているのか。

 答えは明白です。
 告貴元年(594)に「66国の国府寺建立」令が出される前にすでに、全国の多くの国府には(全部ではないと思います)すでに「国府寺」(もしくは国寺)があった。そしてこれは東偏時代の建立だったので東偏なのだ。
 告貴元年(594)の「66国の国府寺建立」記事は、この年に全国にこうした命令をしたということではなく、諸国の国府に置かれた国立寺院を「国府寺」と命名し、未建立の国には「国府寺」の建立を命じたという記事なのではないでしょうか。

 ここを論証するには
 国分寺をその伽藍中軸線の方位で
  1:東偏 2:正方位 3:西偏
 に分けておいて
 それぞれの寺院がその伽藍配置などから聖武令以前からの国府寺の改造なのか、聖武令以後の新造なのかを分別してみる。

 予想は
 1:東偏の寺院はすべて国府寺の改造。
 2::正方位の寺院には国府寺の改造と新造が混在。
 3:西偏の寺院はすべて新造。

 この通りなら、先の私の仮説が証明できます。

追伸

先に肥沼さんが挙げた私が示した国分寺における東偏の痕跡。
国数でいえば、わずかに12か国だ。
つまりこれ以外に東偏の国分寺がなければ
残りの54か国の国分寺は正方位か西偏ということになる。

やはりここは国分寺すべての方位を確認しないといけないですね。

 そしてもう一つ、聖武令以後の新造と考えられる国分寺の場合には、もともとの国府寺が別にあったわけなので、元の国府寺の可能性のある古代寺院を見つけてその方位を見ないといけないですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

(西偏)→東偏→★正方位→(西偏)という古代の方位政策の中で,
例の「国府寺設置」は正方位への転換★ということですね。
もうすでに東偏のものはあった,と。

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