多元的「国分寺」研究の再開
このところ川瀬さんから多元的「国分寺」研究再開への励ましが続いている。
一時は「厳密な資料批判・点検をしない妄想話に付き合っているのは時間の無駄。
今後肥沼さんのブログへの訪問・コメントは辞めて、自分の研究に専念しようと思っています。では。」
と見捨てられ,「荒らし」氏には「それ見たことか」と悪口を叩かれる始末であった。
しかし,
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「ここがロドスだ、跳ぶのは今だ!!!!!!」ですよ。
やり方は簡単。
1:図面を見つけて、伽藍中軸線の方位と伽藍形式を確認。
※本でも良いし奈文研のデータでもよい。
2:伽藍形式の中での塔の規模などを確認(五重か七重か?)
3:出土瓦の確認。
4:国府との距離の確認。
検証するのはこの4点だけ。これを明らかにすればその寺の建立年代と改造年代が推定できる。
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という具体的方法まで提示して下さっている。
これで私が動かなければ,もう「国分寺」の研究は動くことが難しくなるかもしれない。
それは,5年前に多元的「国分寺」研究を提案した私の本意ではない。
もう1年だけ(期限付きで)頑張ってみようと思う。
どうぞご支援下さい。
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肥沼さんへ
やっと重い腰を動かし、立ち上がりましたね。
さて、どう進めるかな?
5年前に中途挫折したのと同じく、九州王朝の中枢の畿内とその周辺から始めますかね。
つまり九州と中国四国の西部。
その次が近畿王朝の勢力範囲。
つまり中国四国の東部と近畿地方
そして次が九州王朝と密接な関係にあったその他の地方。
つまり北陸道・東山道・東海道沿いの中部・関東地方。
最後が蝦夷国を侵略して作った陸奥かな?
つまり青森県と岩手県を除く東北地方だ。
国分寺中心の検討で良いと思う。
国分尼寺はどこも同じような形なので、伽藍形式よりも、方位・出土瓦だな。その年代を判定するのは。
投稿: 川瀬健一 | 2021年2月19日 (金) 23:45
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 やっと重い腰を動かし、立ち上がりましたね。
もともとの性格の上に,今は腰痛防止の骨盤治療もしていますので。(笑)
〉 国分寺中心の検討で良いと思う。
国分尼寺はどこも同じような形なので、伽藍形式よりも、方位・出土瓦だな。その年代を判定するのは。
どうぞよろしくお願いします。
5年前にはなかった「武器」もあるのがうれしいです。
投稿: 肥さん | 2021年2月20日 (土) 05:39