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2021年2月 6日 (土)

武蔵国府・武蔵国分寺研究から〈方位の考古学〉へ

(1)「国分寺」の伽藍は,ほとんどの学校の先生は同じだと思っている。(「えっ,違うんですか?」という感じ)

(2)一番近い武蔵国分寺が,塔の方位(北)と金堂院(金堂・講堂など)の方位(7度西偏)が違っていた。

これは違う王朝が作ったものではないかと思いついた。

(3)「国分寺建立の詔(741年。聖武天皇)」を読んでみると,「七重塔を建てよ」という意味で,

しかも「国分寺」という言葉は1回も出て来ない(もうすでに「国分寺」はあるのでは?)と確認した。

(4)2016年,多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げた。同時に,サイトも。

(5)川瀬さんと,武蔵国府・武蔵国分寺の調査をするなかから,府中(武蔵国)が「東偏の時代⇒正方位の時代

⇒西偏の時代」と進んで行ったことを知る。

(6)東偏⇒正方位⇒西偏は,全国的なことではないかと考え,全国の遺跡を「奈良文化財研究所データベース」で

精査していく。磁北と真北の混在に苦労する。(古い時代は磁北の地図が多かった)

(7)その結果,全国的に東偏の時代(中国南朝の影響)⇒正方位の時代(中国北朝への対抗)という流れが

あったことを確認する。ただし,近畿(奈良・大阪)は東偏(九州王朝に従い)⇒西偏(方位磁石)

⇒正方位(主権国家として)。

(8)相対編年である土器編年への疑問。東偏や正方位への変更が地域によってズレるのはどうしてか?

中央政府の命令が,50年以上たって伝わるなんてことがあるのか?土器編年の方を変えるべきなのでは?

九州地方(100年遡らせる)←中国・四国地方(50年遡らせる)←近畿地方(±0)

中部地方(50年遡らせる)→関東・東北南部地方(100年遡らせる)→東北北部地方(150年遡らせる)

(9)精査の途中で,藤木海著『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』(新泉社)と出会う。

私には「2つの王朝の栄枯盛衰を地下に刻んだ遺跡」と思えた。(福島県の遺跡なので,100年遡らせる)

(10)泉官衙遺跡の発掘はその後も行われ,九州王朝の時代から「官衙の定式化」が始まっていることを知る。

と同時に,昨年の発掘でⅡ期の木柱が良好な状態で出土しているそうなので,年輪年代が期待できる。

ただ,考古学の世界で「年輪年代を信用しない」という動きもあるようなので,それが心配である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【泉官衙遺跡 郡役所跡に玉石敷 全国2例、格式高く 保存状態良好の木柱も】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/01/post-087f14.html

【「整合性」が×なのに,「修正後整合性」が全部〇というのは・・・ホントかな?】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2021/01/post-ae28ff.html

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