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2021年2月11日 (木)

「国分寺」伽藍配置の変遷試論(1)―「新式」寺院を更に分類したら―(山田さん)

国分寺の「新式」の分類について,山田さんにやっていただきました。

すごく大変な仕事をしていただき,ありがとうございました。

国分寺は全国各地にあるわけなので,ぜひお住いの地区の国分寺に関心を持っていただけたらと思います。

(「古式」か「新式」かぐらいかは,すぐわかりますから)

まず「741年の聖武天皇による〈国分寺建立の詔〉から国分寺の歴史がスタートした」という

「呪縛」から解き放たれることが,肝要と考えます。

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「国分寺」伽藍配置の変遷試論(1)「新式」寺院を更に分類したら 】(山田さん)

https://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2021/02/post-671ace.html#comments

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥えさんへ
夢ブログに取り上げていただき、ありがとうございます。
ブログ初稿の因幡国分寺と出雲国分寺の判断を変更・訂正しましたのでお知らせいたします。

因幡国分寺は東大寺にあらわれる比が出ないので「Cタイプ(Bの可能性あり)」に、
出雲国分寺は信濃国分僧寺に似ているので「古式」から「新式(「国分二寺図」式ではない、いわゆる“国分寺式”)」に変遷する過渡期にあらわれる様式(つまり「信濃国分僧寺式」とでも呼ぶべき様式)に思えました。今回の作業から、出雲国分寺・信濃国分僧寺の創建時期の位置づけができそうに感じました。ありがとうございました。

なお、今回の記事(と調査対象でなかった国分寺)については、多元的「国分寺」研究サークルにおいて調査報告書を精査した上の結論が既に出ていて、私の「パッと見判断」が間違っているかもしれません。その場合はご寛恕ください。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 なお、今回の記事(と調査対象でなかった国分寺)については、多元的「国分寺」研究サークルにおいて調査報告書を精査した上の結論が既に出ていて、私の「パッと見判断」が間違っているかもしれません。その場合はご寛恕ください。

了解いたしました。
私も復習してみたいと思います。

>なお、今回の記事(と調査対象でなかった国分寺)については、多元的「国分寺」研究サークルにおいて調査報告書を精査した上の結論が既に出ていて、私の「パッと見判断」が間違っているかもしれません。その場合はご寛恕ください。

これはないですよ。
 当初「国分寺の研究」だったかな、大部の研究書を九州から順に検討しようとして、九州の途中で頓挫した。とん挫した理由は肥沼さんが「研究書を読んでもイメージがわかない」とのことで文献の読み込みを辞めたから。
 それで実際に遺構を見ることができる武蔵国分寺に集中し、「国分寺の研究」掲載論文だけではなく他の本や発掘報告書にあたって、正方位の塔を中心とした創建伽藍の復元を試みようとした。
 だが当時はわからないことが多く、観世音寺式か法起寺式かとの推論で頓挫。
 その後私が聖武死去までに七重塔が完成した26か国の国分寺の検討をやりかけ、一方山田さんは「続日本紀」に国分寺の図面を配布との記事があることから、この図面の寺院は東大寺とほぼ同じ伽藍配置で伽藍の規模が違うだけではないかと推定し、東大寺伽藍の寸法からその比率を割り出して、この新式の国分寺に該当するものがあるかどうか調査をし、さらに国分寺伽藍の新たな分類法を考察している途中で、正木さんの筑紫都督論の間違いを山田さんが指摘し、これに私や大下さん・上条さんが呼応して、話は古賀さんの「前期難波宮九州王朝副都論」の是非に移ってしまい、ここで国分寺研究は一旦休業した。
 だから発掘報告書に基づいて研究したのは
 1:武蔵国分寺
 2:このほかに、播磨国分寺や伊豆国分寺など塔が回廊の外にあって、しかも東大寺に似た伽藍配置の国分寺を山田さんがいくつか検討した
 だけ。
 2は当時は奈良文化財研究所のデータベースの存在も知らなかったので、発掘報告書を手に入れられずに検討は不十分だったと思います。

 なぜ今頃になって急に肥沼さんが、2016年に取り上げた庄司圭次さんの「誰が国分寺の制度を作ったか」の分類に基づいて作った分布図を取り上げたのかと訝しく思っていましたが、要するに途中で頓挫した研究を復習していたのですね。

 すでに私たちは庄司圭次さんの「誰が国分寺の制度を作ったか」の分類を超えています。
1:古式寺院(回廊内に塔がある)
2:新式寺院(回廊の外に塔がある)
 a:古式寺院を改造して塔を回廊の外に置いた寺院
 b:新たに東大寺をモデルとして配布された図面に基づいて作られた新式寺院

 ここまで2017年の時点で山田さんと私は到達していました。
 そして課題は2のa/bを発掘調査報告書で精査して確定することとしていましたよ。

 ちなみに私の26か国国分寺の検討は
1:武蔵国分寺研究第十三弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第三回。南海道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/2017122musasi2-9-3.pdf
2:武蔵国分寺研究第十二弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第二回。山陽道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/20161211musasi2-9-2.pdf
3:武蔵国分寺研究第十一弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第一回。北陸道・山陰道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/20161121musasi2-9-1.pdf
 までやってあります。

 最後に「西海道」編として九州をやっている途中で終わっているのです。

 

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〈  なぜ今頃になって急に肥沼さんが、2016年に取り上げた庄司圭次さんの「誰が国分寺の制度を作ったか」の分類に基づいて作った分布図を取り上げたのかと訝しく思っていましたが、要するに途中で頓挫した研究を復習していたのですね。

 すでに私たちは庄司圭次さんの「誰が国分寺の制度を作ったか」の分類を超えています。
1:古式寺院(回廊内に塔がある)
2:新式寺院(回廊の外に塔がある)
 a:古式寺院を改造して塔を回廊の外に置いた寺院
 b:新たに東大寺をモデルとして配布された図面に基づいて作られた新式寺院

 ここまで2017年の時点で山田さんと私は到達していました。
 そして課題は2のa/bを発掘調査報告書で精査して確定することとしていましたよ。

 ちなみに私の26か国国分寺の検討は
1:武蔵国分寺研究第十三弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第三回。南海道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/2017122musasi2-9-3.pdf
2:武蔵国分寺研究第十二弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第二回。山陽道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/20161211musasi2-9-2.pdf
3:武蔵国分寺研究第十一弾。聖武天皇一周忌までに完成した「国分寺」26ケ寺伽藍の再検討第一回。北陸道・山陰道編。http://kawa-k.vis.ne.jp/20161121musasi2-9-1.pdf
 までやってあります。

 最後に「西海道」編として九州をやっている途中で終わっているのです。

→ 川瀬さんと山田さんのやりとりはかなり専門的な内容だったので,
私がついて行けなかったのだと思います。どうもすみません。

川瀬さんへ

〉 最後に「西海道」編として九州をやっている途中で終わっているのです。

退職の間近の時期,『国分寺の研究』から得た数少ない情報を私もコメントしたりしていたようです。
先程3つの論考を全部プリントアウトしました。(A4判・48ページ)
当時プリントアウトした記憶がなく,西海道が精査できたらそうしようと思っていたのでしょうか。
西海道精査の予定はありますか?

 

肥沼さんへ

>西海道精査の予定はありますか?

 実はいま、夏までに古代史研究でやり残したことを全部論文化して、私のサイトに掲載し、その後これを書籍にするべく動き出しておき、こうやって古代史を終えて近代史研究と徹底検証新しい歴史教科書執筆に戻ろうと計画中です。

★やり残したことは
1:古田さんの間違いの証明
2:主語有無の論証による日本書紀の全文解読
3:国分寺の発掘報告書に基づく、1:古式 2:新式 2a:古式の改造 2b:基本図面に基づく新式に分類する作業の完成
4:方位の考古学研究のまとめ

 今の問題は3の一部。
 西海道の国分寺の概要はすでにメモってあるのであとは報告書などの図面にあたるだけ。
 そしてこれがおわったら26か国国分寺以外の国分寺、つまり40か国国分寺を同じ作業をすればおわる。
 1:はほぼ出ている。論文として仕上げるだけ。
 4:も骨子はできている。あとは論文として仕上げつつデータの再検証をすればすむ。
 一番の問題は2.
 終わっているのは「斉明紀」だけ。「天智紀」は半分ほど。あと「天武紀」「持統紀」は折に触れて分析してあるだけ。その他は全く手つかず。

 このやり残したことに、完成している次を加える
1:古田説の間違い
  ・磐井の乱 ・孝徳の難波宮のありか ・斉明紀吉野行幸の真実 などなど
3:国分寺関係
 ・武蔵国分寺創建伽藍と初期国庁の復元
 ・国分寺の前に九州王朝の国寺があった
5:古田史学関係の批判
 ・大下古賀論争を読む
 ・なぜ前期難波宮九州王朝副都説の間違いに気づいたか
6:古田さんとの出会い

を加えると、私の「古代史論集ー古田武彦を超えて」が出来上がります。

 夏までには、順次やってみようとは思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  実はいま、夏までに古代史研究でやり残したことを全部論文化して、私のサイトに掲載し、その後これを書籍にするべく動き出しておき、こうやって古代史を終えて近代史研究と徹底検証新しい歴史教科書執筆に戻ろうと計画中です。

★やり残したことは
1:古田さんの間違いの証明
2:主語有無の論証による日本書紀の全文解読
3:国分寺の発掘報告書に基づく、1:古式 2:新式 2a:古式の改造 2b:基本図面に基づく新式に分類する作業の完成
4:方位の考古学研究のまとめ

〉  このやり残したことに、完成している次を加える
1:古田説の間違い
  ・磐井の乱 ・孝徳の難波宮のありか ・斉明紀吉野行幸の真実 などなど
3:国分寺関係
 ・武蔵国分寺創建伽藍と初期国庁の復元
 ・国分寺の前に九州王朝の国寺があった
5:古田史学関係の批判
 ・大下古賀論争を読む
 ・なぜ前期難波宮九州王朝副都説の間違いに気づいたか
6:古田さんとの出会い

を加えると、私の「古代史論集ー古田武彦を超えて」が出来上がります。

 夏までには、順次やってみようとは思います。

→ 素晴らしい計画ですね!
これらは,古田さんの仕事の「間違い」の部分を訂正し,
さらに未開拓の分野に進むことになると思います。
楽しみです。

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