新田郡衙遺跡の「石敷き」の範囲は?
新田郡衙遺跡の「石敷き」の範囲が,パンフレットに描かれていた。
正殿までの通路だけでなく,後殿に至るまで敷き詰められていたようだ。
泉官衙遺跡も同様だったのでしょうか?
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【新田郡衙遺跡の「石敷き」の範囲】
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/nittaguntyo.pamph.pdf
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コメント
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肥沼さんへ
なるほど。
正殿の後ろ側には石を敷いた庭があったわけか。
となると郡山官衙遺跡と同じになるね。
新田郡衙遺跡は国府に近い規模の大きなもの。
そういえば泉官衙遺跡の郡庁だって東西南北が60mほどあって、通常の郡衙より大きいね。
投稿: 川瀬健一 | 2021年1月18日 (月) 13:54
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 正殿の後ろ側には石を敷いた庭があったわけか。
となると郡山官衙遺跡と同じになるね。
さすがに「池」まではなかったと思いますが。
〉 新田郡衙遺跡は国府に近い規模の大きなもの。
そういえば泉官衙遺跡の郡庁だって東西南北が60mほどあって、通常の郡衙より大きいね。
大きさの比較では,Ⅰ・Ⅱ期が43~44×50,Ⅲ期が56×68ですね。
投稿: 肥さん | 2021年1月18日 (月) 14:18