払田の柵の柱の年輪年代について
年輪年代について,適用例を調べてみようと思って,
払田の柵について調べてみた。
http://www.pref.akita.jp/hotta/outline/sizen/
すると,「801年」という年が出ていた。
それが創建年代と考えているようだ。
しかし,他の東北地方の柵や城から見て遅すぎるように思った。
これは4回建て替えられたといううちの「4回目」ではないか。
ちなみに,政庁をみると,東偏していながらも定型化の形を取っている。
柵は野ざらしの掘立柱なので,創建時・建て替え・2回目の建て替えが行われ,
最後の建て替えのものを,年輪年代で測ったら,「801年だった」ということではないか。
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コメント
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昨年3月にこの遺跡の検討をした際に、政庁の年代は
Ⅰ期(8世紀末~9世紀前半)~4°30′E
Ⅱ期(9世紀後半~末)~0°30′E
Ⅲ期(9世紀末~10世紀前半)~0°30′E
Ⅳ期(10世紀中葉)~0°30′〜0°E
となっていました。
外柵の年輪で出てきた「801年」という根内は、ちょうどこのⅠ期にあたります。
だから外柵は創建の時期からあったと判断したのでしょう。
これを「方位の考古学」によって150年ずらすと
Ⅰ期:7世紀前半~7世紀末
Ⅱ期:8世紀前半~中頃
Ⅲ期:8世紀中頃~末
Ⅳ期:9世紀初頭~
となります。
これだと「801年」は、まさにⅣ期ですね。
投稿: 川瀬健一 | 2021年1月25日 (月) 23:35
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〈方位の考古学〉の有効性が,証明されたということですね。
投稿: 肥さん | 2021年1月25日 (月) 23:53
>〈方位の考古学〉の有効性が,証明されたということですね。
さあ、これはどうでしょうかね。
「方位の考古学」から見れば、外柵は創建期ではなくて第Ⅳ期だということだけ。
なにしろ外柵が作られた年代を他の方法では証明できないわけだから。
第何期かわかっている政庁の建物の柱根が出て、その年輪年代法での年代が、「方位の考古学」での年代をずらした年代と一致すれば正しいということになりますがね。
投稿: 川瀬健一 | 2021年1月26日 (火) 15:01
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
投稿: 肥さん | 2021年1月26日 (火) 19:49