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2020年12月18日 (金)

歴史は身近なところにあった!

古田史学にお目にかかった時,九州に住んでいる人はいいな,思った。

だって,九州王朝の遺跡を身近に感じることができるから。

ところが,その後これは間違いだったことが分かった。

九州王朝の支配の痕跡は,全国にあったからであった。

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(1)近所の神社

八雲神社は牛頭大王が,氷川神社はスサノヲが,日月神社はアマテラスと月読が,

それぞれ祀られていて,昔の支配者が誰であったかを感じ取ることができたからであった。

(2)東山道武蔵路

古代官道が九州王朝によって7世紀半ば頃作られたことがわかり,

東山道武蔵路の近く(数百メートル)に住んでいた私は飛び上がった。

これは〈方位の考古学〉によって,さらに100年遡ることになるが・・・。

(3)「国分寺」はなかった!

武蔵国分寺の塔の方位が正方位なのに金堂院の方位が7度西だということが不思議だった。

実は塔が九州王朝時代に作られたもので,金堂院はのちの建物であることが分かった。

つまり,古い時代の国寺は九州王朝によって建てられたもので,

741年の国分寺建立の詔で創建されたものではなかったのだ。(当然「白鳳瓦」も出土する)

(4)〈方位の考古学〉の発見

武蔵国分寺と府中の研究から,九州王朝は東偏→正方位と「方位政策」を行っていたことが分かってきた。

全国の遺跡の悉皆調査から,それを確信し,それが全国の土器編年の変更を迫るものであることも分かった。(遡らせる)

九州100年←中国・四国50年←【大和±0】→中部50年→関東・南東北100年→北東北150年

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

>古代官道が九州王朝によって6世紀半ば頃作られたことがわかり,
東山道武蔵路の近く(数百メートル)に住んでいた私は飛び上がった。
これは〈方位の考古学〉によって,さらに100年遡ることになるが・・・。

 こう書いてしまうと間違いです。これでは古代官道の時代が5世紀半ばになってしまいます。
正しくは
古代官道が九州王朝によって7世紀半ば頃作られたことがわかり,
東山道武蔵路の近く(数百メートル)に住んでいた私は飛び上がった。
これは〈方位の考古学〉によって,さらに100年遡ることになるが・・・。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

訂正します。

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