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2020年11月 2日 (月)

鹿の湯温泉~九州王朝の「鎮護国家」

今テレビを観ていたら,栃木県の「鹿の湯温泉」のことを扱っていた。

「1390年前からある」という。2020-1390年=630年である。

検索すると,以下のように出ていた。

「鹿の湯の由来と古えの軌跡

那須温泉元湯・鹿の湯は、七世紀前半、約千三百年前の舒明(じょめい)天皇の御世に開湯されたといわれます。
狩野三郎行広という者が山狩の際に、射損じて逃げる鹿を追って山奥に入ると、鹿は傷ついた体を温泉で癒していました。

そこで鹿によって発見された「鹿の湯」と名づけたと伝えられています。
公式には、聖武天皇の御世である天平十年(七三八年)の正倉院文書のなかに那須温泉の記録が残されています。・・・」

もし,630年とすると九州王朝が主権者の時代で,九州年号でいえば「仁王」に当たる。

仁王とは,623~634年の12年間にわたる年号で,仁王般若経・仁王会と関係する。

検索してみると,以下のように出ていた。

【仁王経】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%8E%8B%E7%B5%8C

普通「鎮護国家」などというと,歴史教科書では近畿王朝の8世紀前半の頃のように思うかもしれない。

ところで,この7世紀前半と8世紀前半の間に,白村江の戦い&敗北(7世紀後半)がある。

もしかしたら,唐&新羅との戦いに備えて,九州王朝は「鎮護国家」を願い,このお経が詠まれたのかもしれない。

これに続く「僧要」(635〜639年)も仏教関連の年号である。

12+5=17年の間「仏教関連の年号」が続いたことになる。

その願いもむなしく,倭国=九州王朝は,白村江の戦い(663年)に突入した。

実際,「二中歴」には,仁王のところに「自唐仁王経渡 仁王会始」と書いてあるそうだ。

 

 

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