九州王朝の「国字」
中国の漢字に対して,日本で発明された「漢字」を国字という。
峠と言う字は,国字の一つ。
こういう例が150もあるらしい。
ところで,国字作成の動きは昔からあったようで,
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『新字』(にいな)は、天武天皇の命を受けた坂合部磐積により編纂された日本最初の辞典。
天武天皇11年3月(682年)に完成した。1部44巻からなったが[1]、後に逸書となったため、詳細は不明である。
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と書いているサイトがあった。
昨日古賀さんが教えてくれたのだが,伊予の温岡碑にも「国字」が使われているそうで,
もうすでに,九州王朝時代から「国字」作成の動きは始まっていたようだ。
(レプリカです)
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法興六年[注 1]十月、歳在丙辰、我法王大王[注 2]与恵慈法師[注 3]及葛城臣、逍遥夷与村、正観神井、歎世妙験、欲叙意、聊作碑文一首。
- 惟夫、日月照於上而不私。神井出於下無不給。万機所以[注 4]妙応、百姓所以潜扇。若乃照給無偏私、何異干寿国。随華台而開合、沐神井而瘳疹。詎舛于落花池而化羽[注 5]。窺望山岳之巖崿、反冀平子[注 6]之能往。椿樹相廕而穹窿、実想五百之張蓋。臨朝啼鳥而戯哢[注 7]、何暁乱音之聒耳。丹花巻葉而映照、玉菓弥葩以垂井。経過其下、可以優遊[注 8]、豈悟洪灌霄庭意歟[注 9]。
- 才拙、実慚七歩。後之君子、幸無蚩咲也。— 『釈日本紀』所引または『万葉集註釈』所引『伊予国風土記』逸文より[2]
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さあ,どれが「国字」だと思いますか?
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山や岡の巌の崖を望んで、六朝の詩人、子平の詩にあるように登っていけたらという思いにとらわれる。椿の木は互いに覆い合って無数の絹傘を張ったようである。朝には鳥が鳴いてたわむれ、さえずるがその鳴き声もやかましくは感じられない。赤い花は緑の葉を集めて照り映え、玉のような果実は花びらを覆って、温泉の上に垂れている。この見事な椿の木のもとに、ゆったりと遊びたい。
「望海波日記」サイトより
https://filologos.diarynote.jp/201701192240037910/
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というような意味らしいです。(「国字」は注7の字らしいのですが・・・)
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