生島足島神社(長野県上田市)
今上田市の吉村さんが扱っている対象に上記の神社がある。
(「いくしまたるしま」と読みます)
私も今から25年ほど前に古田氏と行ったことがあるのだが,
井戸から湧いた池の島のようなところに神社があって,まずびっくり。。
「式内社」を越えて,「祝詞」にも登場するというからさらに驚きだ。
祭神・・・生島神・足島神
ご神体・・・大地
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気になる所としては,神社と正対するようにして諏訪神社があるということ。
しかも,地元の神様と思われる諏訪神社が下宮で,生島足島神社が上宮なのだ。
もしかしたらこれは,あとから入ってきた九州王朝の生島足島神社が,
元からいた諏訪神社を押しのけてしまったものではないかと思われる。
なにしろ諏訪神社は,御本社(生島足島神社)の摂社という扱いでもある。
かつての祭神が新しい祭神に地位を譲り(征服され),
摂社の地位にされるということは,よくあることだ。
(だから,神社を見学する時は,ぐるっと周りの摂社も見学したい。
かつての主役の祭神がそこには見られると思うから。
要するに,かつての祭神を信仰している民に対して,
君たちの信仰も尊重しているというメッセージなのだろう。
なお,次の案内図は方位が南北逆になっているから,見る時には注意が必要である。
実は我が家の近所には,八雲神社(牛頭天王。出雲系)と
日月神社(アマテラス・月読。近畿・九州系?)がある。
後者の摂社として前者が位置づけられているが,
本来は出雲系の地域に「新参者」である日月神社が入ってきたのであろう。
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