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2020年10月19日 (月)

続・九州王朝は駅鈴も作ったか?

私は以前『発見された倭京〜太宰府都城と古代官道』(明石書店)に

「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」という文章を掲載していただき,

幸い少なからぬ人々に参考にしていただいた。

〈方位の考古学〉の発見により,その相手国は唐ではなく隋という結論に至ったが,

それは今回の中心話題ではないので,省略する。

さて,同じ本の中に,私は「九州王朝は駅鈴も作ったか?」という短い文章も書いていた。

古代官道と駅鈴は切っても切れない内容だと思ったからだ。

それについて,今回ピンとくるものがあったので紹介したい。

ウィキペディア「駅鈴」を見ていた際,ふと写真の説明が目に留まった。

そこにはこんな風なことが書いてあった。

駅鈴(兵庫県朝来市和田山町寺内 和田山郷土歴史館) 

見えている面に刻まれている文字は篆書体の「鈴」。反対側にはやはり篆書体で「驛」と刻まれている

篆書体は「てんしょたい」と読む。漢字以前の古代文字だ。

ということは,篆書体になじんだ人から見たら,漢字は「簡易体」であり,正式な文字ではなかった時代があるだろう。

篆書体は,周代にさかのぼる字だというから倭国(九州王朝)とも縁がありそうだ。

そして,篆書体には大篆と小篆があり,その二種類と漢字を組み合わせて作られた文章を私は知っていた。

古田武彦著『ここに古代王朝ありき』(ミネルヴァ書房)に掲載の「室見川の銘板」である。

2世紀頃倭国の人が「素晴らしい宮殿を作った」ことを記念して作った文書だと思われる。

その篆書体が駅鈴にも使われているというので,「九州王朝は駅鈴も作ったか?」に少し

プラス情報になるかもしれないと,今これを書いている次第である。

もちろん2世紀の「室見川の銘板」とは年代の開きがあるだろうから,必ずしも自信がある訳ではないが,

少なくともその王朝の役人には,篆書体が読めたということではないか。

Img_8200

Img_8201

(以上は私所有の金属器レプリカです。音も鳴ります)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

>篆書体は「てんしょたい」と読む。漢字以前の古代文字だ。

いや、草書体、行書体、楷書体などのように、書体が異なるだけで「漢字」(漢王朝の文字という意味ではなく)ですよ。「漢字以前の」というのは間違っています。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 いや、草書体、行書体、楷書体などのように、書体が異なるだけで「漢字」(漢王朝の文字という意味ではなく)ですよ。「漢字以前の」というのは間違っています。

そうなんですか?それは知りませんでした。古いものだとばかり思っていました。

肥さんへ

>古代文字
>古いものだとばかり思っていました。

そこは間違っていません。それは否定していませんよ。

甲骨文字などから発展して今日の漢字になってきたのです。
絵文字のようなものから発展してきて、現在のアイコンのような漢字(もとになったものがわからない形)になったということです。日本人だって弥生時代・江戸時代・現代では着ているものが変遷している。それと同じように漢字も書体が変遷してきた、ということです。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

漢字というと,「漢の時代に定まった字」という感じがしてしまいますので,
中国文字のある段階の書体という感じでしょうか。

肥さんへ
>中国文字のある段階の書体

この理解でほぼ間違ってないと思います(「ほぼ」というのは、同時期に併存したものもあるので)。

例えば「驛鈴」の「驛」の偏の「馬」ですが、
次のサイト(ほんの一例として挙げます)で「漢字「馬」の起源と由来」として、
甲骨文字→金文(青銅器にある文字)→小篆→楷書の変遷が示されています。
https://asia-allinone.blogspot.com/2013/12/blog-post.html

山田さんへ
コメントありがとうございます。

肥沼さんへ

 篆書体=漢字以前の古代文字

 という肥沼さんの誤った認識のおかげで、この小論の趣旨の検討が吹っ飛んでしまいました。
 肥沼論の要点は
>篆書体は,周代にさかのぼる字だというから倭国(九州王朝)とも縁がありそうだ。
 にあると思います。
 つまり周王朝の制度や文物を継承してきた九州王朝だからその駅鈴を周王朝にはじまる篆書体でつくったのではないか というもの。

 しかしこれは大変な間違い。
 「篆書体」で検索しその歴史を確認すれば、篆書体(正しくは小篆)で王朝の権威を表す文物に刻印した最初の王朝は秦王朝だった。
 だがあまりに複雑な書体なので次の漢王朝はこれを継承せず、簡易体である隷書を漢王朝は採用した。
 しかし「一時新代に公式書体に返り咲いたが、新の滅亡とともに再び公式書体から外され、以後しばらくの間小篆は「公的証明」の名残から官印・公印に用いられる他は、ほとんどの場合装飾的に瓦や鏡などの文様、碑や帛書の表題などに用いられるにすぎなくなる。」とウィキペディアは記す。

 駅鈴は「公的証明」を示すものだから、伝統的な篆書体が採用されたとみるべき。
 駅鈴が篆書体で作られたことをもって九州王朝由来ということはできないわけですね。

名無しさんへ
コメントありがとうございます。

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