これは,肥さんの見た夢のお話です。
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10月は「神無月」と言います。
全国の神様が出雲(島根県)に集まるので,
この時期は,神様がいなくなってしまうというらしいです。
そういう神話を聞いて「へーっ」と子どもの頃はただただ驚いていました。
しかし,神様と呼んでんでいたのは「守様」ということで,どうも人間らしい。
つまり,その国(今の都道府県)を治めるために中央から派遣された守(県知事)だと次第に思うようになりました。
となると,誰が当時一番偉かったかが,明らかとなります。出雲王朝の「天王」です。
近所の八雲神社の祭神は牛頭天王(スサノヲとも)ということですが,私はずっと「天皇様」だと思っていました。
そして,驚いたことには対馬(北九州)に天照神社というのがあって,
「うちの神様は(2番目に)偉いので,行きは集められる神様の中で一番最後に出雲に着いて,
帰る時は一番最初に帰ってくる」という伝承があるそうです。
(ということは,№1が出雲で,2番目が対馬(北九州)ということになる)
ところが「国譲り」という大事件が起こり,出雲は北九州にその地位を「譲った」そうな。
これも権力の作り話で,実際は武力侵略の結果,主権者が変わったということなのでしょう。
(出雲矛と北九州の矛では,迫力が違います)
そして,中国から「漢委奴国王」や「親魏倭王」(卑弥呼)の金印を北九州の権力者がもらうことになる。
そしてさらに,東アジアの国際情勢の中で有利に立ち回れるように,
「倭の五王」(当然北九州の権力者)たちは,その後南朝に使いを送ります。(「柵封体制」とか言いますね)
そして,南朝の文化や制度も学んで帰ってきます。(装飾古墳だけでなく,東偏の建築・都作りなども)
ところが,その後南朝が北朝に滅ぼされ,なんと今まで同じように北狄とされてきた北魏が
中国の盟主を主張するようになってきました。
北九州の倭国としては,頭に血が上るって感じです。
「あいつらが盟主を名乗るのなら,おれたちだって盟主と名乗って何が悪い!」と。
なので,「近代化」のためにいろいろなことを取り入れたのだと思います。
例えば,年号(6世紀前半の517年〜)や官衙の定型化(6世紀中葉?)などです。
そして,北魏は滅び,小国に分裂した後,ついに隋が中国を統一します。(6世紀末の589年)
当然「今度できた国はどんな国なんだ。様子を見て来よう」ということで使いが派遣されたでしょう。(遣隋使)
また,「日出ずる処の天子が日没する処の天子に手紙を送ります」などと主張し,
隋の煬帝を怒らせたりもしたのではないでしょうか。
「こりゃヤバイ。攻めてくるかもしれん」ということで,戦時体制のための官道(古代日本ハイウェー)を
全国に張り巡らせたかもしれません。(全国6300キロという推定もあり)
しかし,隋は短命に終わり,戦争をすることはありませんでした。
ところが,その後を受けた唐はそうはいきませんでした。
唐は朝鮮半島の新羅とタッグを組んで,倭国が戦争をすることに。(663年,白村江の戦い)そして,全滅・・・・。
しかし,なぜか近畿は滅ぼされず,それだけでなく,なんと敵国だった唐と仲良くし,
唐に倣って大宝律令(701年)など作り,年号も定め(701年,大宝を建元),「日本書紀」(720年)を作り,
「昔から我が国は,近畿王朝の天皇が治めて来たんです」と主張し始めた・・・
という夢を昨日見ました。
(未完)
タカタロウさんへ
はじめまして!
東村山在住の肥さんです。
タカタロウさんがSoundyに行かれた4か月後に私も訪問し,たまげました。(笑)
私もブログをやっていて,Soundyを紹介しましたが,
タカタロウさんの紹介ぶり(感動ぶり)に驚きました。
いつかSoundyでお話ししましょう。
ちなみに私の年齢は田島さんと同じです。(学年は田島さんが1つ上)
志村けんと同じ学校出身です。(秋津小・第二中)