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2020年9月23日 (水)

館院には,Ⅱ期にも塀に囲まれた建物群が・・・

川瀬さんのコメントを読み,もう一度藤木海著『南相馬に躍動した古代の郡役所・

泉官衙遺跡』(新泉社)を読んでみた。

すると,Ⅱ期に政庁の西方にある〈館院〉と呼ばれる建物群が成立し,

南側だけだが塀に囲まれているし,その南門には八脚門が備わっており,

官道を伴っていて,役所の仕事の中心になっていたと思われる。

だから,Ⅱbの時期に政庁には正殿しかなかったのではないか。(儀式の時だけ使用?)

また,南側ではなく北側に入り口が設けられたのは,

この館院との連絡上必要があったからではないかと,全体図を見て思った。

Img_5937

(図をクリックすると拡大します)

Ⅰ期・・・東偏の正殿。両脇殿と前後殿付き。

Ⅱa期・・・正方位に変更して玉石敷にした正殿。

Ⅱb期・・・正殿は残るが,西方に八脚門を持った館院(この時期と思われる)

Ⅲ期・・・成長の大型化(三×二間の間の南門あり。北側にも入口)と脇殿の復活

九州王朝にとっても,近畿王朝にとっても,重要視された官衙。

それが泉官衙遺跡だったのではないか。

「2つの王朝の〈栄枯盛衰〉が刻まれている」といっても,過言ではないと思う。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 遺跡図を見てそれを分析して考えることは大事です。
 しかし遺跡の性格や発掘場所などをきちんと踏まえないと大きな間違いをしでかします。

1:舘院について
 舘院のできた時期は建物の色分けからⅡ期であることがわかります。つまりⅡ期には(a期かb期かは不明)ここでも柵で囲まれた領域の中に一定の規則で建物が並ぶ形式になった。これは郡庁院ではb期におきていることなので、舘院の成立はb期と見てよいでしょう。
 ただし舘院の性格を無視してはいけない。
 これは郡司の館です。政庁ではなく居住空間です。だからいくら大きな八脚門があるからといって政庁である郡庁院の機能までここに移ったとは考えにくいです。

2:郡庁院のⅡ期bについて
 この遺構図に正殿しか見られない理由を肥沼さんは「正殿しかなかった」と判断しました。
 しかしこの建物様式が塀の中に建物を規則的に配置するものだとすると、正殿のすぐ南に東西の脇殿がなければいけません。
 そしてちょうど東西の脇殿が有るべき場所は、白く塗られているので、ここは発掘されていないということを意味しています。
 さらに肥沼さんは北側だけが入り口と判断されましたが、北側が政庁の入り口なら、ここにきちんとした門がないとおかしなことになります。いくら儀式だけと言っても柵だけで門がないのはあんまりです。
 むしろ正殿の真南に立派な南門があったと考えるべきでしょう。
 ではなぜその南門の遺構が図示されていないのか。
 これはⅡ期の建物群ではa期とb期とでは遺構がほぼ重なっています。
 b期の南門があるべき場所はa期の前殿の場所です。二つの遺構が重なっていて区別がつかなかったということではないでしょうか。

 では郡庁院の北側の門がない入口は何か。
 全体の配置図をみると、Ⅱ期には郡庁院のすぐ北側に大きな建物が数棟出現しています。その大きさは正殿並みです。
 つまりⅡ期bには、郡庁の正殿群の北側に儀式の際の高級官人の控室や儀式に必要なものの倉庫などが新たに建設されたのではないか。
 この正殿に付属する重要な区画と正殿との通路として北側の位置口は建てられたと思います。

 なお肥沼さんは「正殿だけとなった郡庁院では儀式しか行われなかった」とされていますが、そもそも正殿は儀式のための建物であり、政治とはすなわち儀式であることを忘れています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

ぜひ南相馬市の教育委員会に,未発掘の場所を発掘していただいて,
白黒つけたいところですね。
私の考えでは,歴史の真実を知ることができる「国宝級」の遺跡だと思うので・・・。

肥沼さんへ

>ぜひ南相馬市の教育委員会に,未発掘の場所を発掘していただいて,
白黒つけたいところですね。

 これは不可能でしょう。
 郡庁院の未発掘場所を上の図で確認すると、そこは道路だからです。
 通行止めにして発掘することはありません。道路が付け替えられて別の場所に移動すれば別ですがね。
 遺跡発掘はそこに道路や鉄道や家や建物があると、基本的には発掘しませんので。

 だから遺跡発掘の結果出てきた「遺構図」には欠落箇所が多々ある。この空白域は、遺跡の性格などを総合的に判断して推測するしかないのです。
 肥沼さんも推理したわけですが、肥沼さんは目に見えている遺構だけで判断してしまっています。
 目に見えない遺構、未発掘の遺構とかすでに失われた遺構を論理的推理で復元することこそ遺跡を理解するときの必須条件です。
 方位の考古学で遺構図から建物群の方位を判断するときに、この作業は何度もやりました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私は現地を訪問しましたが,そのあたりの道は交通量はさほどないところでした。
「国宝級の遺跡」と評価していただければ,発掘して埋め戻すくらいは可能だと思います。

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