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2020年10月 1日 (木)

「神無月」の夢物語

これは,肥さんの見た夢のお話です。

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10月は「神無月」と言います。

全国の神様が出雲(島根県)に集まるので,

この時期は,神様がいなくなってしまうというらしいです。

そういう神話を聞いて「へーっ」と子どもの頃はただただ驚いていました。

しかし,神様と呼んでんでいたのは「守様」ということで,どうも人間らしい。

つまり,その国(今の都道府県)を治めるために中央から派遣された守(県知事)だと次第に思うようになりました。

となると,誰が当時一番偉かったかが,明らかとなります。出雲王朝の「天王」です。

近所の八雲神社の祭神は牛頭天王(スサノヲとも)ということですが,私はずっと「天皇様」だと思っていました。

そして,驚いたことには対馬(北九州)に天照神社というのがあって,

「うちの神様は(2番目に)偉いので,行きは集められる神様の中で一番最後に出雲に着いて,

帰る時は一番最初に帰ってくる」という伝承があるそうです。

(ということは,№1が出雲で,2番目が対馬(北九州)ということになる)

ところが「国譲り」という大事件が起こり,出雲は北九州にその地位を「譲った」そうな。

これも権力の作り話で,実際は武力侵略の結果,主権者が変わったということなのでしょう。

(出雲矛と北九州の矛では,迫力が違います)

そして,中国から「漢委奴国王」や「親魏倭王」(卑弥呼)の金印を北九州の権力者がもらうことになる。

そしてさらに,東アジアの国際情勢の中で有利に立ち回れるように,

「倭の五王」(当然北九州の権力者)たちは,その後南朝に使いを送ります。(「柵封体制」とか言いますね)

そして,南朝の文化や制度も学んで帰ってきます。(装飾古墳だけでなく,東偏の建築・都作りなども)

ところが,その後南朝が北朝に滅ぼされ,なんと今まで同じように北とされてきた北魏が

中国の盟主を主張するようになってきました。

北九州の倭国としては,頭に血が上るって感じです。

「あいつらが盟主を名乗るのなら,おれたちだって盟主と名乗って何が悪い!」と。

なので,「近代化」のためにいろいろなことを取り入れたのだと思います。

例えば,年号(6世紀前半の517年〜)や官衙の定型化(6世紀中葉?)などです。

そして,北魏は滅び,小国に分裂した後,ついに隋が中国を統一します。(6世紀末の589年)

当然「今度できた国はどんな国なんだ。様子を見て来よう」ということで使いが派遣されたでしょう。(遣隋使)

また,「日出ずる処の天子が日没する処の天子に手紙を送ります」などと主張し,

隋の煬帝を怒らせたりもしたのではないでしょうか。

「こりゃヤバイ。攻めてくるかもしれん」ということで,戦時体制のための官道(古代日本ハイウェー)を

全国に張り巡らせたかもしれません。(全国6300キロという推定もあり)

しかし,隋は短命に終わり,戦争をすることはありませんでした。

ところが,その後を受けた唐はそうはいきませんでした。

唐は朝鮮半島の新羅とタッグを組んで,倭国が戦争をすることに。(663年,白村江の戦い)そして,全滅・・・・。

しかし,なぜか近畿は滅ぼされず,それだけでなく,なんと敵国だった唐と仲良くし,

唐に倣って大宝律令(701年)など作り,年号も定め(701年,大宝を建元),「日本書紀」(720年)を作り,

「昔から我が国は,近畿王朝の天皇が治めて来たんです」と主張し始めた・・・

という夢を昨日見ました。

(未完)

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コメント

北魏をつくったのは中国北方にいた鮮卑族。
だから東夷ではなく北狄です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

間違えました。

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