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2020年9月14日 (月)

「評制時代の官衙」と「郡制時代の官衙」

【前期評制政庁の構造とその原型】

↗ ご面倒でも,上の「前期評制政庁の構造とその原型」で検索をお願いします。

これだと行けると思います。(『国学院史学』20号の3人目です)

著者の滝澤誠さんは,「初期政庁の造営にはおそらく国家が関与していた可能性が高い」と指摘しており,

九州王朝とはいっていないが,鋭い指摘と考える。

同じ言い方を使えば,全国に東偏の官衙が存在したことにも,「国家が関与」していたと考えるべきだが。

川瀬さんには以下のアドレスを教えていただいたのですが,

私にはたどり着くことができませんでした。

これで行ける方は,その方法で。

http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/kokushi/%E3%80%8E%E5%9B%BD%E5%A3%AB%E8%88%98%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E3%80%8F20%E5%8F%B7%EF%BC%882016%EF%BC%89.pdf

大雑把に言えば連結型の建物である。

評制の時代の官衙は,建物が塀も兼ねていた。

つまり九州王朝によって作られた官衙は連結型の建物だったのだ。

Img_5932_20200915042301

それが,7世紀後半から8世紀初頭に,様式が大きく変化する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【長舎と官衙研究の現状と課題】

https://www.kuba.jp/syoseki/PDF/3295.pdf

大雑把に言えば,塀で囲んだ中に建物がある。

ちょうど「回」という字のような感じだ。

私たちの家屋の構造と似ているやり方ともいえる。

「7世紀後半から8世紀初頭」というから,近畿王朝による建物である。

Img_5933

(連結型→定型化国(郡)庁への変更)

著者の大橋泰夫さんは「7世紀後半から8世紀初頭」の建物の変化は強調するものの,

「定型化国庁に先行する初期国庁」という表現にとどまっており,

この様式の変化に王朝交代が影響しているとは考えていないようである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【泉官衙遺跡に残された2つの様式】

私が「2つの王朝の〈栄枯盛衰〉が刻まれている」と泉官衙遺跡のことを表現するのは,

まさにこの2つの様式を持つものだからだ。

Img_5931_20200914101801

左側の図が九州王朝の建築  右側が近畿王朝の建築

Ⅰ期~東偏(南朝に倣う)   Ⅲa期~701年,大宝元年(建元)   

Ⅱa期~正方位(玉石敷)   Ⅲb期~律令制ゆるむ

Ⅱb期~白村江の戦いで敗戦 Ⅲc期~律令制の衰退

(クリックすると拡大します)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

泉官衙遺跡について,『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』によると,

Ⅲa期(定型化国庁ともいうべき)のスタートをした時期を「8世紀後半」としている。

これは大橋さんの「7世紀後半」と100年ズレる。いずれが正しいのか?

私は国家の命令が,100年も経って地方に伝わるということは考えられないので,

年代比定を100年遡らせるべきだと思う。

そして,これは〈方位の考古学〉の趣旨にもかなうことだ。

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コメント

肥沼さんへ

>【前期評制政庁の構造とその原型】
 あなたのパソコンにダウンロードしたファイルのアドレスにリンクしても、画面で見ることはできません。
方法は、
1:ダウンロード元のサイトにリンクする。
http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/kokushi/%E3%80%8E%E5%9B%BD%E5%A3%AB%E8%88%98%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E3%80%8F20%E5%8F%B7%EF%BC%882016%EF%BC%89.pdf
 (掲載された「国士館史学」第20号へのリンクです。全部読める)
2:夢ブログにこのファイルそのものをアップしてリンクする。
 どちらかにしないと見ることはできません。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんに教えていただいたアドレスを貼り付けてみましたが,
残念ながらニフティーでは「見つかりませんでした」と表示をされてしまいました。
なので,直接論文名「評制時代政庁の構造とその原型」で検索していただく方法にしました。

こえぬまさんへ 

<br /> http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/kokushi/%E3%80%8E%E5%9B%BD%E5%A3%AB%E8%88%98%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E3%80%8F20%E5%8F%B7%EF%BC%882016%EF%BC%89.pdf<br />

 このアドレスではたどり着けません。
 最初と最後にある <br /> を削除しなければいけません。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 最初と最後にある <br /> を削除しなければいけません。

ご指示のようにしてみました。
私にはやはり,「ページが見つかりません。」が出るのですが・・・。

「あれっ」と思って,「YAHOO!JAPAN」にアドレスをコピーして検索をしてみました。
そうしたら,『国士館史学 20号』全体が出ました。
その中滝澤論文が出ているということですね。
私は,「http」のアドレスをクリックすればいいのかと思っていました。

肥沼さんへ

 二つ目の論文はアドレスをクリックするだけでたどり着くのに、どうして最初の論文はアドレスをクリックする方法では「ページがみつからない」になってしまうのでしょうね。
 不思議です。

 ココログにはリンクのやり方に何か制限があるのでしょうかね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

「32字制限」というのがあるようです。

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