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2020年9月21日 (月)

やはり「評制官衙」と「郡制官衙」の画期は,ONラインのようです

「もう一つの歴史教科書問題」というサイトがあります。

ハンドルネーム「侏儒国民」さんの開設されているサイトです。

以前だいぶ「夢ブログ」にコメントしていただきました。

官衙の様式について検索しているうちに,最近扱っている

「評制官衙」と「郡制官衙」についての話題が出ているのに気が付きました。

なんと結論は私と同じで,「ONラインが画期」ということです。

しかも,ブログを書かれたのはおそらく2年前。

Photo_20200921064601

『古代国府の成立と国郡制』(大橋康夫著,吉川弘文館,2018年)を紹介し,

古田武彦氏の旧王朝(old:九州王朝)と新王朝(new:大和朝廷)との画期である

701年の大宝律令を「ONライン」としています。

素直にうれしいです。

そして,驚いたことに「肥さんの夢ブログ」や「sanmaoの暦歴徒然草」が

リンクされていたのです!

あわてて私も,「もう一つの歴史教科書問題」サイトをリンクさせていただきました。(冷汗)

今後ともよろしくお願いいたします。m●m

【もう一つの歴史教科書問題:国府成立と正方位採用は701年の大宝律令から 】←↓どちらでも行けます

http://rekisi.tosalog.com/on%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3/%E5%9B%BD%E5%BA%9C%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%A8%E6%AD%A3%E6%96%B9%E4%BD%8D%E6%8E%A1%E7%94%A8%E3%81%AF701%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E3%81%8B%E3%82%89

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【参考:泉官衙遺跡(福島県)】

Img_5931_20200921070201

左側の3枚が九州王朝 右側の3枚が近畿王朝

(タテに見て下さい。2つの王朝の〈栄枯盛衰〉が

刻まれていませんか?)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

当方のブログ記事をご紹介いただきありがとうございます。

ついに見つかってしまいましたか。『古代国府の成立と国郡制』は参考になる本だと思います。一元史観の立場の研究者であっても、先行研究は可能な限りチェックしておきたいものです。

『肥さんの夢ブログ』にはいろいろと刺激を受けています。「九州年号見つけた!」シリーズを始めたのも、貴ブログ記事がきっかけでした。
今後ともよろしくお願いします。

侏儒国民さんへ
コメントありがとうございます。

特に考古学関係の研究者は,一元史観ではあっても,
アンテナを張っておくべきだなと思いました。
それぞれの方法で歴史を探索し,
結果的に同じ結論に達していたら,素晴らしいことだと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

肥沼さんへ
 朱儒国民さんが例示した『古代国府の成立と国郡制』(大橋康夫著,吉川弘文館,2018年)の8世紀初頭以前が国府や評衙の方位が斜めで、以後が正方位との主張を鵜呑みにしてはいけないと思います。
 この主張は従来の考古学の土器編年によってなされているので、中国四国地方と中部地方は50年遡らせ、九州と関東と東北南部は100年遡らせないといけません。
 つまり8世紀初頭から正方位とされた遺跡にも、7世紀初頭の遺跡があるということ。
 方位の考古学では、九州王朝はすでに6世紀末から7世紀初頭に正方位に変えているという認識を導き出しています。
 肥沼さんが例示している泉官衙遺跡の左側の下二枚の正方位の遺構は、方位の考古学では九州王朝時代にあたるとしたはずです。
 つまり官衙の方位が「斜め⇒正方位」の画期は701年ではなく、さらに100年遡るというのが方位の考古学に依拠した結論です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  朱儒国民さんが例示した『古代国府の成立と国郡制』(大橋康夫著,吉川弘文館,2018年)の8世紀初頭以前が国府や評衙の方位が斜めで、以後が正方位との主張を鵜呑みにしてはいけないと思います。

やはりそこに食いついてきましたか。
もちろん私もそれは気が付いていて,文章中に触れようと思いましたが,
今回は「一元論」の人たちの中にも,ONラインを支持する人が出てきているということを
知らせたかったので,書きませんでした。

もちろん九州王朝時代から正方位が採用されているのは,
『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』を2年前に入手した時から,
私の中でははっきり理解していたことでした。

さすがに川瀬さんは鋭いですね。
確かに私がブログ記事を書いた時点で、正方位採用は九州王朝とされており、問題提起する意味もあったように覚えています。従来の編年を受け入れるなら、正方位採用は近畿王朝となりそうですが、中国四国地方と中部地方は50年遡らせ、九州と関東と東北南部は100年遡らせるということに妥当性があるなら正方位採用は九州王朝となるという論点になるかと思います。後者の場合はONラインに先立つ画期の存在を新たに提示する必要があるかもしれません。

肥沼さんへ
>今回は「一元論」の人たちの中にも,ONラインを支持する人が出てきているということを
知らせたかったので,書きませんでした。
 
 はたして『古代国府の成立と国郡制』(大橋康夫著,吉川弘文館,2018年)はONラインを支持している説なのでしょうか。官衙の建築様式が8世紀初頭を以て変化しているという見解。資料を見る限りでは官衙の方位だけが問題になっているように思えますね。「斜め」から「正方位」との変化を。
 当然定説派ですから王朝交代という視点はありません。
 そして古田さんのONラインは王朝交代のラインという意味ですから、「一元論」の人たちがONラインを支持したという意味でもないと思います。

朱儒国民さんへ
>中国四国地方と中部地方は50年遡らせ、九州と関東と東北南部は100年遡らせるということに妥当性があるなら正方位採用は九州王朝となるという論点になるかと思います。後者の場合はONラインに先立つ画期の存在を新たに提示する必要があるかもしれません。

 ハイその通りです。
 でもONラインは王朝交代のラインという意味ですから、別の画期ということになります。
 つまり官衙の方位を東偏→正方位という変更。
 これが何を意味する画期かというと、正方位の官衙は「天子南面」という思想を体現したものですから、正方位を採用した官衙が6世紀末から7世紀初頭に日本に現れたということは、日本の王朝が、「我こそ天子也」と宣言したことを意味します。
 そしてこれはタリシホコが隋に対して「日出るところの天子」と自称した事実とよく照応しており、九州王朝説を裏付ける事実の一つとなります。
 近畿王朝は中国に対して「我こそ天子なり」と自称したことはないのですから、明らかに別王朝その存在を、6世紀末から7世紀初頭における正方位の官衙出現は示しています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  はたして『古代国府の成立と国郡制』(大橋康夫著,吉川弘文館,2018年)はONラインを支持している説なのでしょうか。官衙の建築様式が8世紀初頭を以て変化しているという見解。資料を見る限りでは官衙の方位だけが問題になっているように思えますね。「斜め」から「正方位」との変化を。
 当然定説派ですから王朝交代という視点はありません。
 そして古田さんのONラインは王朝交代のラインという意味ですから、「一元論」の人たちがONラインを支持したという意味でもないと思います。

そりゃあ,そうですね。
侏儒国民さんのブログを拝見して,喜びすぎてしまったかもしれません。
ただ,「一元論者の考えも,一つではない」という理解は得られました。

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