福原長者原遺跡は,「東偏」&「定式化」
福原長者原遺跡は,福岡県行橋市にある遺跡で,
東偏&定式化された遺跡のようである。
奈良文化財研究所のデータベースでは,
「7世紀末葉~8世紀中頃」とされている。
〈方位の考古学〉だと,九州の遺跡は100年遡らせて
「6世紀末葉~7世紀中頃」だ。
662年か663年に白村江の戦いがあったので,
その前までの歴史だということか。
Ⅱ期が最盛期のようだが,「東偏」&「定式化」はⅠ期から始まっているようである。
つまり「6世紀末葉」からだ。
【福原長者原遺跡】
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m121190-97699/etc.jpg
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つまりこの遺跡は、東偏時代の最後の官衙遺構ということだ。
つまり「塀で官衙群を囲む様式」の官衙様式は東偏時代に生まれたということ。
こうした遺跡の通説による年代は、次のようになるでしょうね。
1:近畿地方:6世紀末以前
2:中国四国地方・中部地方:7世紀中頃
3:九州地方・関東地方・東北南部:7世紀末以前
4:東北北部:8世紀中頃
この中で一番古い遺跡はどこでしょうね。1・2・3の地域ならほぼ同時になるはずだ。
投稿: 川瀬健一 | 2020年9月27日 (日) 14:23
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 この中で一番古い遺跡はどこでしょうね。
九州王朝の時代ですので,九州地方と言いたいところですが…。
投稿: 肥さん | 2020年9月27日 (日) 15:09