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2020年7月26日 (日)

土器編年は〈相対編年〉なので,当然年代のズレが生じる(工事中)

「かつて〈東偏〉や〈正方位〉を命じた王朝があった」ということは分かった。

しかし,藤木海著『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』(新泉社)を読んでみたら,

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Ⅰ期官衙(7世紀後半~8世紀初頭)

Ⅱ期官衙(8世紀初頭~後半)

Ⅲ期官衙(8世紀後半~9世紀後半)

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となっていて,近畿王朝が建てた郡役所というように読めるが,いかがなものか,と。

確かにこれまでの土器編年では,「編年のズレ」という概念がなかったので,

後代にズレたまま解釈していたのだ。

九州王朝は東北地方まで軍用道路を敷き,〈東偏〉や〈正方位〉の役所も立てて

全国支配をしている王朝だということが,近年わかってきた。

ところで,「建物を〈東偏〉や〈正方位〉にせよ!」命令は,どれくらいの時間で伝わったのだろうか?

これが50年も100年もかかって地方に伝わったのでは,意味がないのである。(王朝がつぶれてしまう)

あっという間に,そうさせてこそ「国家の意思」というものであろう。

したがって,私たちは大和からの距離に従って土器編年はズレていると考え,

次のような「土器編年の修正」を提案することとなった。

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九州←←中国・四国←←近畿(大和)→→中部→→関東・東北

 100年   50年    0      50年    100年・北部の東北だと150年

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そうすると,東北地方の福島県にある泉官衙遺跡は,100年のズレを生じていることになるから,

100年土器編年を遡らせて考えることが正しくなる。

つまり,以下のように先ほどの年代比定は変更されることとなるのである。

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Ⅰ期官衙(6世紀後半~7世紀初頭)・・・九州王朝の勃興期

Ⅱ期官衙(7世紀初頭~後半)・・・九州王朝の最盛期〜滅亡

Ⅲ期官衙(7世紀後半~8世紀後半)・・・近畿王朝の勃興期~律令制の衰退

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これが前回「2つの王朝の栄枯盛衰が,1つの遺跡に刻まれている」と書いた理由だ。

そして,前回の「かつて日本列島に〈東偏〉や〈正方位〉を命じた王朝があった」と

今回の「土器編年は〈相対編年〉なので,必ずズレが生じる」が合体されたものが,

〈方位の考古学〉ということになる。

2つのことをいっしょに書くと混乱することがあるので,別の文章にしてみた。

考古学は「土器編年のズレ」が修正されれば,信頼できるものである。

これまでの積み上げを,修正していくべきだ。

また,国分寺については,741年の聖武詔の影響が大きすぎて,大変編年をゆがめているので,

軒丸瓦の様式などの方面からの研究が望まれる。

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