東村山郷土研究会への質問
東村山郷土研究会,50周年おめでとうございます。
私が東村山郷土研究会に加えていただいたのは,2年半程前の2017年10月でした。
学校の教員を1年早く辞め(中三担当だったため),古代史の研究をやろうと意気込んでいました。
そこで出会ったのが,東村山郷土研究会でした。
東村山市には有名な「東山道武蔵路」という官道が通っており,「幅12m」「ほぼ直線」という
大変大規模な土木工事が当時されたことが想像されます。
東村山市内では,2002年に東村山駅近くの大踏切で発掘されたのが,最初らしいです。
その官道が南は武蔵国府(府中市)に向かい,北は上野国府・下野国府の2方向に向かっています。
40周年記念誌を拝見したところ,近内信輝さんが「鎌倉街道と東山道武蔵路」を書かれていて,
「東山道は東国経営のため(の)大和朝廷の官道である」と説明がありました。
実は,私は東山道武蔵路について,いろいろ調査している者ですが,疑問がいくつもあるのです。
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(1)東山道武蔵路が大和朝廷の官道とする史料は,いったいどこにあるのか?
(2)東山道武蔵路は,何世紀のいつ頃に作られたのか?
(3)8世紀(771年)に武蔵国は東山道から東海道にコース変更になるが,それはなぜか?
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これらの質問は,近内さんだけでなく,東村山郷土研究会の皆さん全員への質問でもあります。
ぜひご教示願えれば幸いです。
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