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2020年5月23日 (土)

久しぶりにクジラの刺身を食べる

久しぶりにクジラの刺身を食べた。

こういう話は「めったにないこと」だから記録に残るので,

毎日のように食べていたら記録に残そうとは思わないだろう。

(健康な人が「今日も目が覚めた。

目が覚めるというのはなんと素晴らしいことだろう」なんて書かない)

板倉さんの『歴史の見方考え方』に,江戸時代の農民は何を食べていたか?

という話が出てきて,少なからぬ人が「アワやヒエ」と答えてしまうが,

実際にアワやヒエで重労働の農業ができるわけがないのだ。(正解は,米)

アワやヒエは「小鳥のエサ」のような雑穀である。

閑話休題。

クジラの刺身のようなめったに食べられないものを食べる際は,

日本酒ということにしている私。

両者を行ったり来たりしながら,語り合う時間が楽しい。

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コメント

また苦言ですが、江戸時代(近くは大正時代まで)の人々が粗食だったことは史料で証明されています。
最近、江戸時代の農民も米を食べていましたという変な意見がネット上であるのでおかしいと思っていたら、その発信元は板倉先生でしたか。
江戸時代にアワやヒエを食べて重労働した農民に失礼なので、この部分は訂正または削除してください。

あじすきさんへ 
コメントありがとうございます。

あじすきさんは、板倉聖宣著『原子論的な歴史の見方考え方』(仮説社)をまだお読みではないのでしょか?この本に「江戸時代の農民は何を食べていたか?」という話題が出てきます。もしお持ちでないようならお貸ししますので、お届け先をお教え下さい。アマゾンでも安く買えると思います。私は板倉さんの証明は正しいと考えているので、訂正も削除もしません。

あじすきさんへ

 江戸時代の農民はあわや稗をたべていたというあじすきさんの認識は、歴史学の進展でいえば、ほぼ50年は遅れていますね。
 私が使用していた2000年前後の中学校歴史教科書でもそうではないし、「新しい歴史教科書」ですらそうではありません。
 ちなみに私が「徹底検証新しい歴史教科書」のためにかいた原稿を見てください。
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-20.htm
20:商業的農業の展開で百姓は豊かに暮らしていた
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-19.htm
19:百姓の年貢負担は重くはなかった

 どちらにも末尾に参考書籍を上げておきましたが、すでに1970年代から江戸時代の見直しがなされています。板倉さんもこうした歴史学の進展を背景に論を進めたものだと思います。

肥さん
川瀬さん

資料のご提示ありがとうございました。

川瀬さん提示の資料によると、農繁期以外は米三分の一、ヒエ三分の二の配分になっています。これは私が目にした大正時代の資料とほぼ同じです。これが標準的な日常食なのではないでしょうか。
肥さんの書き方だと「毎日米ばかり食べている」という誤解を与えます。

ご提示の資料の中の参考文献を機会を見て勉強していきたいと思いますが、やはり私は同時代史料の「町民と違って地方の者はとても貧しい。その内容は…」という意味の報告や、「ヒエ飯の中の米に近い部分は味がしみているので奪い合って食った」「山村ではそばの団子が食べられるのは晴れの日だけで、いつもは栃の実の団子」という民俗学の調査は無視できないと思っています。

最初のコメントできつい言い方になっていたらお詫びします。

あじすきさんへ

>川瀬さん提示の資料によると、農繁期以外は米三分の一、ヒエ三分の二の配分になっています。これは私が目にした大正時代の資料とほぼ同じです。これが標準的な日常食なのではないでしょうか。
肥さんの書き方だと「毎日米ばかり食べている」という誤解を与えます。

 「標準的な日常食」というとらえ方が間違いです。
 農繁期と農閑期とでは「標準的な日常食」が異なり、農民は主となるエネルギー源にはコメを食していたということでしょう。
 肥沼さんの書き方が誤解を与えるのはその通りです。

>やはり私は同時代史料の「町民と違って地方の者はとても貧しい。その内容は…」という意味の報告や、「ヒエ飯の中の米に近い部分は味がしみているので奪い合って食った」「山村ではそばの団子が食べられるのは晴れの日だけで、いつもは栃の実の団子」という民俗学の調査は無視できないと思っています。

 民俗学の調査結果は大事です。
 でもそれがどのような時期のどのような場所での状況であったのか を無視して適用してはいけないのだと思います。
水田地帯と畑作地帯、そして山村の焼き畑地帯では、取れる作物も主食も異なります。 また飢饉のときと平常時とではまた食べるものも異なります。
 

いただいた資料を読む限り、田植え前後は米が主流(それも昼食)ですが、それ以外の時期はそうは言えません。ヒエの方が多いのです。

山村での調査結果を上げたのは誤解を与えたかもしれません。

いただいた資料を基にこれから学習してみますが、「ヒエやアワを食べていたのではない。コメを食べていたのだ。」という表現は、明らかにおかしく、最初に書いたように江戸時代の百姓に失礼だと感じます。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

〉 いただいた資料を基にこれから学習してみますが、

ぜひ『歴史の見方考え方』からも学習して下さい。
お持ちでないなら,差し上げますから。

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