〈方位の考古学〉の活用例(8)~長野県・明科廃寺の場合
今長野県の再集計をやっているのだが,
例の明科廃寺が出てきたので,活用例としてアップしておきます。
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長野県の〈寺院遺跡〉2/9(2019年)
(6)明科廃寺(7世紀後半)・・・東偏
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以下は,その時の川瀬さんのコメントです。
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明科廃寺の年代は、瓦編年から7世紀後半とされていますが、
「・ピット(ASH15 P1)内採取試料より抽出した炭化材(資料)は、
放射性炭素年代測定結果に基づく暦年較正結果を参考とすると、
6世紀中ごろから7世紀前半ごろの年代が推定される。
(「安曇野市の埋蔵文化財第12集 明科遺跡群明科廃寺4」2017年安曇野市教育委員会)
との科学的鑑定があるので、50年から100年遡る可能性が高い。
これを根拠に見ても最低50年は年代をあげることが可能だ。
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