神武記の最後の方に
古田武彦氏の講演会の時だったと思うが,
古事記の中に九州王朝の王族の悪口が書いてあって,
それはもちろんのちの日本書紀には収録されなかったと聞いたことがある。
その部分とは,おそらく以下のところである。
「爾神八井命、讓弟建沼河耳命曰「吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故、吾雖兄不宜爲上、是以汝命爲上治天下、僕者扶汝命、爲忌人而仕奉也。」故、其日子八井命者、茨田連、手嶋連之祖。神八井耳命者、意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也。神沼河耳命者、治天下也。 」
自分たちが削除したものが,まさか鎌倉時代に出てきてしまうとは,悪いことはできないものである。
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「意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、嶋田臣等」は九州王朝の王族の一部とその系列の豪族たちだ。
彼らの共通の祖先を、神武の跡を継ぐはずのタギシミミの命を殺せなかった神八井耳命の子孫であるとしたところが、「九州王朝の王族」への悪口というわけですか。
投稿: 川瀬 | 2020年4月 6日 (月) 00:09
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 彼らの共通の祖先を、神武の跡を継ぐはずのタギシミミの命を殺せなかった神八井耳命の子孫であるとしたところが、「九州王朝の王族」への悪口というわけですか。
どうもそうらしいです。「臆病者の子孫」みたいな感じでしょうか。
投稿: 肥さん | 2020年4月 6日 (月) 04:23