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2020年4月 4日 (土)

『『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独〜消えた古代王朝』

上記の論文集(古代に真実を求めて・古田史学論集第二十三集)が
本日明石書店から届いた。
明日から読ませていただこうと思う。
また,次号のテーマは未定とのこと。
いよいよ〈方位の考古学〉の出番かな?

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

久しぶりです。いつも楽しく読ませていただいております。この号、読了しました。谷川さんの論考、納得しました。そこで、九州王朝と近畿天皇家(近畿大王家)とは、どんな関係下にあったのでしょうか?間接支配、それも緩やかなものと考えないと、このようなことは起こりえないでしょう。方位の考古学からは、いかに・・・。でしょうか。

上城さんへ
コメントありがとうございます。

〉 谷川さんの論考、納得しました。そこで、九州王朝と近畿天皇家(近畿大王家)とは、どんな関係下にあったのでしょうか?間接支配、それも緩やかなものと考えないと、このようなことは起こりえないでしょう。方位の考古学からは、いかに・・・。でしょうか。

土日は母の介護の仕事が多く,まだ全然読めていないのですが(今,谷川さんの論考をななめ読みしたのですが,面白そう),
〈方位の考古学〉の結論でいうと,近畿王朝(奈良県及び大阪府)は,他の地域と独自の動きを取っていたということです。
九州王朝が東偏から正方位を直すように指示を出しても,近畿王朝は従いません。
(正方位にせず,西偏にしたりしています。東偏⇒西偏)
古事記のどこだったか,九州の王族の悪口を言う場面があって,もちろんそれは日本書紀ではカットされているのですが,
遠い親戚というか,ライバル関係というか,そういうことがあったのではないかと私は思っています。

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