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2020年4月29日 (水)

増上寺の灯篭

我が家のお墓は,歩いて7〜8分のところにある。

その墓地内の本堂の前に,二基の灯篭が立っている。

ふと歩みを止めて見てみると,「増上寺」の文字が読めた。

都内の有名なお寺の灯篭が,何故この墓地にあるのか?

そういえば,国宝の正福寺(東村山市)にも増上寺の灯篭があったような気がする。

何か事情があって,東村山に移動されたのだろうか?

Img_6854

Img_6855

検索したら,以下のような話が出ていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊藤 友己氏が全国各地の寺に移築された増上寺の石灯籠を継続的に追跡していたのです。

... 理由はおそらく旧コクドの堤一族が増上寺の両側にあった広大な土地を購入し、

そこにあった焼け残った石灯籠を他に移したからです。

... 東京都東村山市の正福寺には、文昭院6が増上寺から移築した石灯籠があるものと思われます。

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やはり正福寺の境内にあった灯篭(今は奥の方に移動している)は,増上寺のものだったようです。

そして,我が家の墓のところのものも・・・。

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コメント

肥沼さんへ

 興味深い話ですね。
 ところで伊藤 友己のサイト「増上寺の石灯篭」には、確認された石灯篭のありかのリストがありますが、この中には、肥沼さんの家の墓のあるお寺は入っているのでしょうか。
http://tourou.information.jp/
 もし抜けていたら、伊藤氏に知らせてあげると良いですね。
 肥沼さんのお墓のお寺にある灯篭は、桂昌院にささげた灯篭ですね。
 二基とも同じかな?

 ちなみに桂昌院とは、五代将軍綱吉の生母のお玉のこと。京都の八百屋の娘で三代家光の側室となったお万の方が尼寺の院主だったときに侍女をしていたが、お万が家光に見初められて還俗して大奥に入った際に、玉もそのまま侍女として入り、その後家光に見初められて側室となり、家光の五男綱吉を生んだという人物。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  興味深い話ですね。
 ところで伊藤 友己のサイト「増上寺の石灯篭」には、確認された石灯篭のありかのリストがありますが、この中には、肥沼さんの家の墓のあるお寺は入っているのでしょうか。

検索して,伊藤さんのサイトを訪問したところ,
東村山市の地蔵院(桂昌院2)はカウントされていました。
さすがです。

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