近畿王朝における九州王朝の事業の「すりかえ」
前に「近畿王朝による九州王朝の事業の「再開」」という記事を書いた。
今回は隙間なく続いているように見えて,その中身が変化している例である。
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【九州王朝】 【近畿王朝】
(1) 暦 元嘉暦? 儀鳳暦?
持統紀に暦の採用記事
(2) 年号 517年〜700年? 701年(大宝元年)〜
約200年間続いた九州年号 「続日本紀」の建元記事によりスタートした近畿年号
(3) 評と郡 645年?~700年 701年(大宝元年)〜
評制を敷いていた(国・評・里) 木簡の研究により,701年から「郡」に変更されたことが証明された
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【九州年号】各地の寺社の縁起等に使用されている
継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)
師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)
定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)⇦ 663年,白村江の戦い
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆
大化・・・695~703年(9年間)◆
大長・・・704~712年(9年間)
日本書紀によると,年号は大化(645)から始まり,
飛び石的に白雉や朱鳥があり,
大宝(701)につながるというのだが
およそ年号というものは「すき間なく続いている
ことに意義があるのであり,
それでこそ年代のモノサシ足りうるのだ。
その点,日本書紀に出てくる3つの年号は
そもそも「年号」としてのテイをなしていないのである。
なお,712年という年号は「古事記」の作られた年だ。
大和中心の歴史がまとめられた年に九州年号も終わる。
※ その後,九州王朝の史書を利用して「日本書紀」(720年)が作られた。
したがって「古事記」は封印される運命となる⇒ところが鎌倉時代に発見される)
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