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2020年2月 6日 (木)

★皇極紀の「蝦夷」の精査練習★

先日『日本書紀』の中には「蝦夷」がどれくらい出現するかという話題で,

いかに九州王朝の史料からの盗用が多いか(『古事記』には1回のみ)を書いたが,

「蝦夷」と言っても国名や民族名の他に「人名」もあることはわかっていたので,いまいち座り心地が悪かった。

人名としての「蝦夷」。それはもちろん,「大化の改新」の時出てくる蘇我蝦夷だ。

そして,「人名」としての「蝦夷」がたくさん出てくるのは皇極紀である。

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(1)【皇極元】元年の春正月の丁巳の朔辛未に,皇后,即天皇位す。蘇我蝦夷を以て大臣とすること,故の如し。

(2)【皇極元】越の辺の蝦夷,数千内附く。★

(3)【皇極元】甲午に,蝦夷に朝に饗たまうふ。☆

(4)【皇極元】丁酉に,蘇我大臣,蝦夷に家に設して,身弓ら慰め問ふ。★

(5)【皇極元】是歳,蘇我大臣蝦夷,己が祖廟を葛城の高宮に立てて,ヤツラのイ舞をす。

(6)【皇極二】壬子に,蘇我大臣蝦夷,病に縁りて朝らず。

(7)【皇極二】蘇我大臣蝦夷,山背大兄皇子等,総て入鹿に亡さるということを聞きて,口眞り罵りて曰く,「口意,入鹿・・・」

(8)【皇極三】冬十一月に,蘇我大臣蝦夷・児入鹿臣,家を甘樫岡に双べ起つ。

(9)【皇極四】人をして鞍作臣の屍を大臣蝦夷に賜はしむ。☆

(10)【皇極四】己酉に,蘇我臣蝦夷等,誅されむとして,悉に天皇記・国記・珍宝を焼く。

(11)【皇極四】是の日に,蘇我臣蝦夷及び鞍作が屍を,墓に葬ることを許す。

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ただアンダーラインを引いた蝦夷は,蘇我蝦夷その人を指している。(途中から大臣が臣になっている)

それに対して,国名・民族名の蝦夷には,★を付けてある。

さらにもしかしたらと,「主語有無」の論証に関係すると思われるものに,☆を付けてみた。

蝦夷を饗応した(3)と父親に息子の屍を返した(9)は,「主語なし」で「賜あり」である。

➀ 九州王朝の天皇が主語でよろしいでしょうか。

➁ もし➀が良いとするなら,「大化の改新」の舞台も九州ということになるのでしょうか。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

書紀の文を多数引用してその読みが正しいかどうか私に聞くのなら、それぞれの記事は皇極何年の何月の記事かを明記してください。そうでないと原文の漢文との対照に時間がかかりすぎです。表示した読み降し文の横に元の漢文を付記すること。そうすればいちいち原文の確認は要りません。漢文のもと文は書紀検索サイトですぐ手に入りますから。

2)越の辺の蝦夷,数千内附く。★
(3)甲午に,蝦夷に朝に饗たまうふ。☆
(4)丁酉に,蘇我大臣,蝦夷に家に設して,身弓ら慰め問ふ。★

 この三つの記事は九州王朝の事績です。蘇我大臣とあるので蝦夷のことだと即断しないこと。4の記事は3の記事の続き。近畿天皇家は九州王朝の分家だから、家臣の多くも九州に本家があるので同姓のものが多数いる。
 3の記事で朝廷において蝦夷に対する宴を開いて饗宴した人は明らかに九州王朝の天子です。
そしてその朝廷とは九州の難波の宮殿。おそらく孝徳が死んだ難波宮でしょう。

(9)人をして鞍作臣の屍を大臣蝦夷に賜はしむ。☆
 この記事単独でみると賜うの主語が省略されているから九州王朝の天子がおこなったことに見えますが、この記事は一連の皇極治下の近畿天皇家内部の内紛記事の中の一コマですから、省略された主語は皇極その人です。
 最後の10の記事の主語も省略されています。
 「蘇我臣蝦夷及び鞍作が屍を,墓に葬ることを許す」
 許すの主語です。これも皇極です。

 この蘇我氏本宗家を討ち滅ぼした事件を「大化の改新」と言うと誤りです。「乙巳の変」が正しい。
 そしてこの事件の現場ですが、冒頭に「天皇御大極殿」とあるので、当時の飛鳥の宮殿に大極殿はないから、事件現場は九州王朝の難波の宮殿と解釈する人もいますが(古田学派の中で)、「天皇は大極殿におわします(御します)」と主語をはっきり明記してあるので、これは皇極を指していて、明らかに近畿天皇家内部の事件であると示しています。そして討滅にかかわる地名や氏族はみな飛鳥のそれですから、飛鳥で行われた事件であることは明白です。
 岩波本を読むと「大極殿」に「おおあんどの」とルビを振っています。飛鳥の宮殿には宴会場も兼ねた大安殿しかないことは明白だからです。
 書紀原文がもともと「大極殿」とあったのか「大安殿」とあったのかは、別に諸伝本を確認しないといけません。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 
書紀の文を多数引用してその読みが正しいかどうか私に聞くのなら、それぞれの記事は皇極何年の何月の記事かを明記してください。そうでないと原文の漢文との対照に時間がかかりすぎです。表示した読み降し文の横に元の漢文を付記すること。そうすればいちいち原文の確認は要りません。漢文のもと文は書紀検索サイトですぐ手に入りますから。

どうもすみません。(これからやります)
にもかかわらず,詳しい解説をありがとうございます。
主語がないだけでなく,状況も入れて判断しなくてはいけないということですね。

>主語がないだけでなく,状況も入れて判断しなくてはいけないということですね。

 状況というより、一つの文だけで判断しないで、段落で見るということ。一つの事件について記している段落の冒頭に「天皇御大極殿」とあるのですから、以後の蘇我本宗家を討滅し蘇我本宗家が推す大王候補を消すまでが、この乙巳事件についての記述の段落です。
 段落の冒頭で主語が省略されていないのだから、この事件は近畿天皇家内部の事件。そして同じ段落の中で時々天皇の主語を省略したのは、実際に書紀を書いた史官の仕業。主語有無で九州王朝と近畿天皇家の事件を判別できる書き方をしたことを、近畿王朝の書紀編纂責任者らに気づかれないようにしたということでしょう。

 どこからどこまでが一つの段落なのか。
 この判断の基準は、記述内容からしか確認できません。
 ここが主語有無の論証で書紀を読み解く上での最大の難関です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。 

〉 状況というより、一つの文だけで判断しないで、段落で見るということ。

〉 どこからどこまでが一つの段落なのか。
 この判断の基準は、記述内容からしか確認できません。
 ここが主語有無の論証で書紀を読み解く上での最大の難関です。

そこが難しいところですね。

 

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