怪しすぎる「評」や「郡」の登場回数
7世紀末まで「評」という九州王朝の行政単位が使われ,
それが8世紀初頭から「郡」という近畿王朝の行政単位が使われるようになった。
これをはっきり示していたのが〈木簡の考古学〉であった。
では,『日本書紀』や『古事記』には,どのようにどれくらい出てくるのか?
それが今回の発想である。
ア. たくさん出てくる
イ. 思ったほど出てこない
ウ. ほとんど(あるいは,まったく)出てこない
さあ,どうだろうか?まず『日本書紀』から・・・
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- ▼日本書紀 巻第十七 継体天皇紀
- 。毛野臣、聞百濟兵來、迎討背評背評地名、亦名能備己富里也、傷死者半。百濟、則捉奴須久利、杻械枷鏁而共新羅圍城、責罵阿利斯等曰、可出毛野臣。毛野臣、嬰城自固、勢不可擒。於是、二國圖度便地、淹留弦晦、筑城而還、號曰久禮牟羅城。....→ このページで合計2件ヒット
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- 同じ文の中に使われている2件のみである。行政単位とは言い難い。
- 続いて,『古事記』でやってみる。
- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 0件
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- 明らかに行政単位として使われた「評」は,記紀にはまったく登場しない。
- これは「怪しすぎる謎」に思える。
- ちなみに,「郡」でやってみると『日本書紀』は100件以上ヒットするのだが,
- 『古事記』はまたしても「0件(ヒットせず)」である。
- これも「怪しすぎる謎」だ。
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この継体紀の記事は、任那国での出来事。つまり任那に「背評」という地名があったことを示します。これが行政単位かどうかは議論の分かれるところ。
おそらく書紀では、本来の資料に「評」と行政単位が記してあった場合には「郡」に書き換えたものと思われます。これは「郡」の出現が100件以上あることで明らかだ。
この郡の出現を「紀」ごとに集計し、内容を検討して絞ってみると、本来の行政単位としての「評」の出現時期がわかると思いますね。
投稿: 川瀬 | 2020年2月13日 (木) 13:51
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 おそらく書紀では、本来の資料に「評」と行政単位が記してあった場合には「郡」に書き換えたものと思われます。これは「郡」の出現が100件以上あることで明らかだ。
この郡の出現を「紀」ごとに集計し、内容を検討して絞ってみると、本来の行政単位としての「評」の出現時期がわかると思いますね。
なるほど。やってみます。
投稿: 肥さん | 2020年2月13日 (木) 15:33