〈方位の考古学〉の活用法(6)〜宮城県・名生館遺跡の場合
昨日,多元的「国分寺」研究サークルのサイトで精査した宮城県の「名生館(みょうだて)遺跡」は,
このサイトにもよく登場させている「泉官衙遺跡」とよく似ている。
2回の正方位官衙が,ほぼ同じ時期に作られているからだ。
私はⅢ期の正方位が〈方位の考古学〉で100年遡った7世紀初めの九州王朝のもので,
Ⅵ期の小館地区の正方位が,同じく100年遡った7世紀末の近畿王朝のもの(規模も大きくしている)に思えるのだがいかがだろうか。
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(2)名生館(7世紀後半~9世紀末)・・・東偏⇒8世紀初めに最初の正方位⇒(8世紀中葉に西偏)⇒8世紀末に再び正方位。
(7世紀初めの九州王朝のものか) (7世紀末の近畿王朝のものか)
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➀ 北の確認~地形図と遺構図の方位が同じなので,真北と考える。
② 建物群~正殿を中心とした2種類の官衙群
➂ 建物データ~
・Ⅰ期(城内地区)~7世紀後半~末葉・・・SB1571(4°E)
・Ⅱ期(城内地区)~7世紀末葉~8世紀初め・・・SB05(0゜56´E),SB1099(3°E),
・Ⅲ期(城内地区)~8世紀初め~前葉 ・・・SB01【政庁・正殿】(0°)(九州王朝のものか),SB11(0°)
・Ⅳ期・8世紀中葉(城内地区)~9世紀~2°W
・Ⅴ期・8世紀後半~9世紀(城内地区) ~5°W,17°W,28°W
・Ⅵ期・8世紀末~9世紀初頭か後半(★小館地区)〜SB1231【政庁・正殿】が作られる(近畿王朝のものか)
【Ⅲ期の遺構群】【Ⅴ・Ⅵ期の遺構群】と建物データ
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