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2020年2月 2日 (日)

善光寺からは,もっと古い瓦が出ているらしい

川瀬さんから「scoophandsのブログ 」というサイトを教えていただいた。

善光寺からはもっと古い瓦(素弁蓮華紋)が出ているらしい。

善光寺は奥が深い・・・。

【善光寺の瓦を学ぶ】

http://scoophands.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post-4289.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 このブログの主がわかりましたのでお知らせします。
 同志社大学の歴史文化情報研究室 鋤柄 俊夫教授。
 プロフィール:
 1958年、長野県飯田市生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程前期修了。大学在学中は、京阪神を中心に長崎、長野など全国各地の遺跡調査に参加。専門は日本中世社会の考古学的研究で、各地に点在する歴史遺産の数量化やデジタル化を用いた研究を進めている。著書に『日本中世都市遺跡の見方・歩き-「市」と「館」を手がかりに』(昭和堂)、『中世京都の軌跡-道長と義満をつなぐ首都のかたち』(雄山閣)などがある。

 この方の研究室のサイト
 https://www.cis.doshisha.ac.jp/staff/sukigara/

 このブログの「善光寺集約データ」が役に立った。
 http://scoophands.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post-f8e0.html
 この中の、物部氏と長野氏と金刺氏と信濃。
 信濃国造家は、なんと多氏。
 河内の長野、今の堺市の百舌鳥古墳群が存在する地域が古代の河内長野。この長野が物部氏の領地となり、それ以前からここを治めていた志木県主が配下に。この志木県主もまた多氏の一族。そして河内長野は馬の産地。軍馬の増産が必要になって、多氏が配下の技術者を従えて信濃に移り、そして軍馬の産地を構えたのが、善光寺平ではないかとの推測も。

 なかなか勉強になるサイトです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

2つのサイトをリンクさせていただきました。
1958年生まれは私と同い年で,縁がありました。
インターネットのつながりはデジタルですが,
研究を通して「アナログ」になれるかもしれません。

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