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2020年2月16日 (日)

サト表記のある紀年銘木簡

『評制下荷札木簡集成』(東京大学出版会)の中に,

上記の一覧表がある。

前半「五十戸」という形で,後半「里」という形で

サトが表現されていて,これも怪しい。(九州と近畿の表現の違い?)

評制がどこから始まったかという議論にプラスになるかもしれないので,

今回「ダメもと」で表にしてみる。●五十戸,〇里

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天智 ● 1(五十戸のみ)

天武 ●●●●●●●●●●11 〇〇〇3

持統 ● 1 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 10

文武 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇 14

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

評制施行後も,ある段階で「五十戸」⇒「里」への変更があったと思われます。

それが,天武・持統のあたりだと言えるのではないでしょうか。

個々のものは,写真で載せますね。

Img_6246

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コメント

肥沼さんへ
 木簡には元号は記載されず、干支だけのはず。
 木簡を検討するときには、その干支がどの元号の何年に当たるか再検討する必要があると思います。
 もしかしたらすべてが60年遡るかもしれませんよ。
 つまりこの一覧に表記された年代は、評制度が書紀の大化二年に施行という解釈を前提にしてなされたとすれば、大化2年より前にくる年代は選択されなかったかもしれないからです。
 言い換えれば、五十戸⇒里への変換は「天武・持統のあたり」ではなくてその60年前の可能性があるということです。これなら大化2年の詔に「里」と明記されていることとは齟齬が生じません。

言い換えれば、大化2年の「国郡里」制度全国施行の詔は、この年にはすでに全国に「国評里」制度が施行されたとの宣言であった可能性もあるということです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 木簡には元号は記載されず、干支だけのはず。
 木簡を検討するときには、その干支がどの元号の何年に当たるか再検討する必要があると思います。
 もしかしたらすべてが60年遡るかもしれませんよ。

〉 言い換えれば、大化2年の「国郡里」制度全国施行の詔は、この年にはすでに全国に「国評里」制度が施行されたとの宣言であった可能性もあるということです。

なるほど。そうかもしれませんね。

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