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2020年2月23日 (日)

『日本書紀』における「屯倉」記事

川瀬さんから素晴らしい話題をいただきました!

「怪しすぎる「評」や「郡」の登場回数」へのコメントです。

まずは,そのコメントをコピ・ぺします。

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 郡記事を精査していて気が付きました。
 郡記事の分布グラフにもう一つ別のグラフを重ねると、評制(郡と表記されている)施行時期が特定できる。
 何のグラフを重ねるかというと「屯倉」の記事分布グラフです。
 コメントにも書きましたが、「屯倉」は天皇も含めた諸豪族が、それぞれ私有地と私有民を支配している状態。「郡=評制」は、そうした一切の私有地私有民を廃止し、すべての土地と民とを国家の支配下に置く制度(公地公民制)。
 だからこのふたつの制度は併存できない。
 郡制(評制)が敷かれて以後は屯倉はないはず。

 書紀全文検索をしてみると、屯倉が出てくるのは孝徳紀までじゃないかな。なぜならこの中の大化2年に公地公民制を敷いた記事があるからです(国郡里制の施行)。
やってみたらドンピシャリ。
 肥沼さんもやってみてください。

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私のアイデア『評制下荷札木簡集成』のグラフと重ねるというアイデアはダメでしたが,

川瀬さんはその上を行ってくれました。うれしいです。

では,『日本書紀』全文検索で,「屯倉」を試してみることにしましょう。

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日本書紀 巻第六 垂仁天皇紀
神祇、始興於是時也。是歲、興屯倉于來目邑。屯倉、此云彌夜氣。廿八年冬十月丙寅朔庚午、天皇母弟倭彥命薨。十一月丙申朔丁酉、葬倭彥命于身狹桃花鳥坂。於是、集近習者、悉生而埋立於陵域、數日不死、晝夜泣吟、遂死而爛臰之、犬烏聚噉焉....→ このページで合計2件ヒット

日本書紀 巻第七 景行天皇~成務天皇
其堤上。冬十月、令諸國興田部屯倉。五十八年春二月辛丑朔辛亥、幸近江國、居志賀三歲、是謂高穴穗宮。六十年冬十一月乙酉朔辛卯、天皇崩於高穴穗宮、時年一百六歲。稚足彥天皇 成務天皇稚足彥天皇、大足彥忍代別天皇第四子也。母皇后曰八坂入姬命、....→ このページで合計1件ヒット

日本書紀 巻第八 仲哀天皇紀
之、是謂笥飯宮。卽月、定淡路屯倉。三月癸丑朔丁卯、天皇巡狩南國、於是、留皇后及百寮而從駕二三卿大夫及官人數百而輕行之、至紀伊國而居于德勒津宮。當是時、熊襲叛之不朝貢、天皇於是、將討熊襲國、則自德勒津發之、浮海而幸穴門。卽日、使遣角....→ このページで合計1件ヒット

日本書紀 巻第九 神功皇后紀
不絶朝貢。」故因以、定內官家屯倉。是所謂之三韓也。皇后從新羅還之。十二月戊戌朔辛亥、生譽田天皇於筑紫。故時人號其産處曰宇瀰也。一云、足仲彥天皇、居筑紫橿日宮。是有神、託沙麼縣主祖內避高國避高松屋種、以誨天皇曰「御孫尊也、若欲得國耶....→ このページで合計1件ヒット

日本書紀 巻第十一 仁徳天皇紀
額田大中彥皇子、將掌倭屯田及屯倉而謂其屯田司出雲臣之祖淤宇宿禰曰「是屯田者、自本山守地、是以、今吾將治矣。爾之不可掌。」時淤宇宿禰啓于太子、太子謂之曰「汝便啓大鷦鷯尊。」於是、淤宇宿禰啓大鷦鷯尊曰「臣所任屯田者、大中彥皇子距不令治....→ このページで合計3件ヒット

日本書紀 巻第十二 履中天皇~反正天皇
於是、喚弟王以敦寵、仍賜村合屯倉。是日、捉阿曇連濱子。元年春二月壬午朔、皇太子卽位於磐余稚櫻宮。夏四月辛巳朔丁酉、召阿雲連濱子、詔之曰「汝、與仲皇子共謀逆、將傾國家、罪當于死。然、垂大恩而兔死科墨。」卽日黥之、因此、時人曰阿曇目。....→ このページで合計2件ヒット

日本書紀 巻第十五 清寧天皇~仁賢天皇
伊豫來目部小楯、於赤石郡縮見屯倉首忍海部造細目新室、見市邊押磐皇子々億計・弘計、畏敬兼抱、思奉爲君、奉養甚謹、以私供給、便起柴宮、權奉安置。乘騨馳奏、天皇愕然驚歎、良以愴懷曰「懿哉悅哉、天垂博愛、賜以兩兒。」是月、使小楯持節、將左....→ このページで合計6件ヒット

日本書紀 巻第十七 継体天皇紀
。安得空爾無答慰乎。宜賜匝布屯倉表妃名於萬代。」三月、伴跛、築城於子呑・帶沙而連滿奚、置烽候邸閣、以備日本。復、築城於爾列比・麻須比而絙麻且奚・推封、聚士卒兵器、以逼新羅。駈略子女、剥掠村邑、凶勢所加、罕有遺類、夫暴虐奢侈、惱害侵....→ このページで合計2件ヒット

日本書紀 巻第十八 安閑天皇~宣化天皇
入罪當科重、謹專爲皇后獻伊甚屯倉、請贖闌入之罪。因定伊甚屯倉、今分爲郡、屬上總國。五月、百濟遣下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁等、來貢常調、別上表。秋七月辛巳朔、詔曰「皇后、雖體同天子而內外之名殊隔。亦可以充屯倉之....→ このページで合計43件ヒット

日本書紀 巻第十九 欽明天皇紀
弓臣等、使于吉備五郡、置白猪屯倉。八月、百濟餘昌、謂諸臣等曰「少子今願、奉爲考王、出家修道。」諸臣・百姓報言「今君王、欲得出家修道者、且奉教也。嗟夫前慮不定・後有大患、誰之過歟。夫百濟國者、高麗・新羅之所爭欲滅、自始開國迄于是歲、....→ このページで合計8件ヒット

日本書紀 巻第二十 敏達天皇紀
我馬子大臣於吉備國、増益白猪屯倉與田部。卽以田部名籍、授于白猪史膽津。戊戌、詔船史王辰爾弟牛、賜姓爲津史。十一月、新羅遣使進調。四年春正月丙辰朔甲子、立息長眞手王女廣姬、爲皇后。是生一男二女、其一曰押坂彥人大兄皇子更名、麻呂古皇子....→ このページで合計3件ヒット

日本書紀 巻第二十二 推古天皇紀
國作戸苅池・依網池、亦毎國置屯倉。十六年夏四月、小野臣妹子至自大唐。唐國號妹子臣曰蘇因高。卽大唐使人裴世淸・下客十二人、從妹子臣至於筑紫。遣難波吉士雄成、召大唐客裴世淸等。爲唐客更造新館於難波高麗館之上。六月壬寅朔丙辰、客等泊于難....→ このページで合計1件ヒット

日本書紀 巻第二十四 皇極天皇紀
五月乙卯朔己未、於河內國依網屯倉前、召翹岐等、令觀射獵。庚午、百濟國調使船與吉士船、倶泊于難波津。蓋吉士前奉使於百濟乎。壬申、百濟使人進調。吉士服命。乙亥、翹岐從者一人死去。丙子、翹岐兒死去。是時、翹岐與妻、畏忌兒死、果不臨喪。凡....→ このページで合計2件ヒット

日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀
昔在天皇等所立子代之民・處々屯倉・及別臣連伴造國造村首所有部曲之民・處々田莊。仍賜食封大夫以上、各有差。降以布帛賜官人百姓、有差。又曰、大夫所使治民也、能盡其治則民頼之。故、重其祿、所以爲民也。其二曰、初修京師、置畿內國司・郡司・....→ このページで合計4件ヒット

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全部で80件がヒットしました。最後は,孝徳紀でした。

(ちなみに『古事記』全文検索で「屯倉」をやってみたら・・・ヒットなし!)

これを△でグラフにしてみると,こんなふうになります。

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神武 0

綏靖 0


安寧 0


懿徳 0


孝昭 0


孝安 0


孝霊 0


孝元 0


開化 0


崇神 0


垂仁 △△ 2


景行・成務 △ 1


仲哀 △ 1


神功 △ 1


応神 0


仁徳 △△△ 3


履中・反正 △△ 2


允恭・安康 0


雄略 0


清寧・顕宗・仁賢 △△△△△△ 6


武烈 0


継体 △△△ 3


安康・宣化 △△△△△△△△△△ △△△△△△△△△△ △△△△△△△△△△ △△△△△△△△△△ △△△ 43


欽明 △△△△△△△△ 8


敏達 △△△ 3


用明 0


崇峻 0


推古 △ 1


舒明 0


皇極 △ 2


孝徳 △△△△ 4


斉明 0


天智 0


天武 0


持統 0
 

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最後に「郡」記事と「屯倉」記事を重ねてみることにします。

長くなるので,これは次の記事にします

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