戸籍は,その国の〈首都〉で管理・保管されるべきものではないか?
うかつなことに,先ほど以下のことに気が付いた。
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(1)最古の「戸籍」木簡(筑前国嶋評川部里戸籍)・・・685〜700年
⇒ 2012年,福岡県の国分松本遺跡で発見された。
(2)それまで最古とされた正倉院文書の戸籍(筑前国嶋郡川辺里戸籍)・・・702年
⇒正倉文書なので,奈良県で発見されたと思われる。
最初に(2)が発見されてナラ遺文に載せられ,「最古の戸籍」と言われていた。
ところが,つい最近(1)が発見されて話題になった。
私もその時,評⇒郡に気をとられていたが(それも重要だが),
実は,第1に注目すべきは「それが発見された場所」ではなかったのかと思ったのである。
戸籍と言えば,国家が国民を管理する重要な資料である。
それをもとに課税したり,兵役を課したりするからである。
その戸籍はまずどこで管理・保管されるべきかというと,
当然その国の首都ということになろう(今は市民課が代行しているが)。
だから,福岡県でそれが発見されたと聞き,人々は驚いた。
なぜ奈良県ではなく福岡県から戸籍が発見されたのかということで。
しかも,その内容は,郡以前の行政単位「評」で書かれていた・・・。
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私は推理した。最古の「戸籍」木簡が半分に折られた体で発見されたのは,
その内容が紙に転写され(あるいは内容が更新されて),大和国(新たな首都)に送られたからではないか。
筑前国(それまでの首都)ではその役目(評の行政単位)を終えたので,
「戸籍」木簡は地下に廃棄された。(しかし,地下水の影響か残ってしまった)
この同じ地域の2種類の「戸籍」は,かつて2つの王朝があり,
首都が福岡県と奈良県で異なっていることを考古学的に証明しているのではないか,と。
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他にも,以下のようなものがあるようである。
・御野国加毛郡半布里戸籍・・・大宝2(702)年の戸籍 ⇦ 筑前国嶋郡川辺里の戸籍と同じ年である
・下総国葛飾郡大島郷戸籍・・・養老5(721)年の戸籍
・山背国愛宕郡出雲郷雲下里計帳・・・神亀3(726)年の計帳
・駿河国天平十年正税帳・・・天平10(738)年の駿河国の財政報告書
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【なぜ,また川辺里?】
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