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2019年12月28日 (土)

〈方位の考古学〉の活用例(3)~瓦塔の場合

瓦塔を前に「夢ブログ」を扱った時,8世紀前後に作られたものと考えていた。

すると,イマイチ九州王朝のものか近畿王朝のものかわかりにくかった。

ウィキペディアでは,このように解説している。

奈良時代から作り始められ、平安時代初期に盛んに作られた。

土師質または須恵器製の小塔であるが、

屋根、柱、組物などは木造塔のそれを模して表現されている。

長野県塩尻市菖蒲沢窯跡出土の瓦塔(奈良時代)は高さ2.3メートルで、日本最大の瓦塔である[1]

多くの瓦塔は出土した破片を組み上げて五重塔に復元されているが、

千葉県印西市馬込遺跡出土の瓦塔(2基)は七重塔に復元されている[2]

小型の仏堂内に安置され、人々の信仰の対象になっていたと考えられているが、

出土例が限られていることもあり、正確な用途はわかっていない。

埼玉県美里町東山遺跡からは平安時代初期の瓦塔(五重塔)と、

入母屋造重層の金堂をかたどった「瓦堂」が共に出土している[3]

これだと,完全に近畿王朝の時代の出来事という感じである。

ところが,8世紀前後は,九州王朝が近畿王朝にかわる交代期だ。

しかも私たちは,全国の遺跡の精査から「方位の考古学」という

土器編年の修正を求めている立場だ。

8世紀前後と言われて「はい,わかりました」と引き下がることはできない。

なにしろ飛鳥からの遠隔地である九州(西日本)や関東・東北(東日本)では,

100年の年代のズレが出てくるからである。

また,そもそも塔を重視する時代は,日本の仏教受容の終末期にはふさわしくなく,

むしろスタート期にふさわしいと考える。

だとしたら,瓦塔は「九州王朝の最後の痕跡」ではなく,

これから仏教を中心に進めていくぞという「布教方針建造物」だったのではないか。

だから,九州王朝は東山道をはじめ各地の支配地に,瓦塔を配布した(作らせた。作ることを奨励した)。

そして,それが土器編年の8世紀を中心に出土するものだから,

誰がその布教の中心だったかが見えなくなっているということではないか。

8世紀中心(近畿)⇒ 7世紀中心(九州)という切り替えが瓦塔にも必要だと考える。

 

【東京都東村山市多摩湖町出土の瓦塔】

Photo_20191228042601

【瓦塔の分布図】

Photo_20191228041801

【全国のいろいろな瓦塔の画像】

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%93%A6%E5%A1%94

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