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2019年12月26日 (木)

〈方位の考古学〉の活用例(1)~古代日本ハイウェーの場合

〈方位の考古学〉の刃は,私の古代日本ハイウェイーにも下された。

私は最初以下のように考えていた。

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(1)唐との「本土決戦」に備えて,九州王朝は全国に軍用道路である「古代日本ハイウェー」の建設を全国に命じた。(7世紀半ば)

(2)662年か663年,白村江の戦いで倭国(九州王朝)大敗北。

(3)九州王朝から日本の主導権を譲り受けた大和政権が,コース変更や道幅を狭めつつ利用した。そして,律令制の衰えによって地下に埋もれることとなった。(9世紀頃)

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以上のうち,(1)について訂正することになった。というのは,私も〈方位の考古学〉以前は従来の土器編年を使っていたので,7世紀第3四半期に出土した土器の年代を採用していたのだった。

しかし,関東の編年は「遠隔地(九州&関東・東北)は100年代を遡らせることになる」ので,7世紀半ば⇒6世紀半ばとなり,「仮想敵国」は唐ではなく隋ということになる。そうすると,「日出ずる処の天子」の手紙とも対応することになり,この天子とは,九州王朝の天子・多利思北孤であるということにもなるのであった。

ちなみに川瀬さんの「主語有無の論証」(主語の有無によって,それが近畿王朝の天皇の業績か,九州王朝の天子の業績かを見分ける方法)によれば,東山道十五國の都督に命じられた彦狭嶋王は「主語なし」の文章中なので,九州王朝の天子が任命したことになる。

日本書紀の解明には「主語有無の論証」を,考古学には従来の編年の変更を可能にする〈方位の考古学〉が有効だと考える。

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